もう二度ともう一度

「幸せへの靴」

体育の時間、通学用を兼ねた運動靴の底が外れた。
 それを片手に持って、早川は何か懐かしそうにそれを見つめていた。

『そう言や、丁度今頃だったっけ。おふくろに負担かけたくなくて、初めて自分の稼ぎでこんな靴買ったなぁ・・』

 今の世界線でこそ大金を持った彼だが、その時は知人の手伝いをしてそのアルバイト代で購入した。早川とはそう言う子供だった。

「靴底、取れちゃったんだ?」

 会話のきっかけに、わざとゆっくり下駄箱に来た野々原はそう言った。着替える時間はもう残り少ない。

「ああ、うん・・」

 続けて何か言おうとした刹那、早川の意識をひらめきの稲妻が走る。

「靴だ!いいよ、靴いいな!」

 もう慣れたけれど、また早川の発作が始まったと思った。眼前の彼は急ぎ上履きに履き替えている。
 本人を前にして今は言えないが、この男の思い付きとは次なる創作活動の題材である。
 しばらく先になるが、彼女への誕生日プレゼントをこの頃彼なりに思考錯誤していた。

『よし、さっそく道具やら資料を、後は材料だ!』

 早川の内にルネサンスの様な情熱が燃え上がっている。彼は殆ど思い付きだけで生きている男だが、そのセンスはそれこそイタリア男の様でもある。
 急ぎ、野々原が進学するハズの学校の指定モデルをまず入手して、それを元に制作する為に勝手に下駄箱からサイズも確認した。
 足の形も覚えている、人差し指が長いタイプだ。通学用と後はもう一足、普段使いに洒落た感じの物をと考えた。


『こりゃ結構、難しいんだな・・』

 学校を飛び出す様に帰って、例の隠れ家でさっそく小槌を叩くも難航していた。
 興味本位で転職してはあちらこちら転々とした多彩な職歴を持つ彼を持ってして、靴作りはそう言わしめた。

「うーん、実際見学させて貰う方がいいかな?」

 自分の靴をそう言う店でオーダーメイドすれば、ついでに作業場が見れるかもしれない。さっそく休日に神戸に行く事にした。靴の生産が盛んな地域だからだ。
 しかし、このなんでもない小さな思い付きは湖に投げた小石の様でも、その波紋は津波の如く彼の身をさらいに来る事になるのであるが。


「早川、近頃お前家にいないな。一体こんな時間まで何をしている?」

 その日の八時頃、バス停から自宅前に着くと高見真知子が待ち構えていた。
 なにやら自分の代わりにお使いまでしてくれたらしい、けれどそこを恩着せがましくされるので困ったモノだが。

「よぅ、ちょっと・・な。そうだ、今度の休み神戸まで行くが、お前も来るか?」

 彼女は少し目を背けて、何をしに行くのか?そして何泊かを聞いた。

「日帰りだよ、日帰り。靴を頼みに行くんだ、お前のも頼んでやるぞ?ただ、出来上がったらちょっと見せてくれりゃいい」

 徹底的に自分本位なのか、早川はキョトンと一体何を聞いているんだろう?と言う顔をしてそう答えている。
 当然その後高見真知子を家に送る間、説教と尋問が待っていたがあの秘密基地に関してはその名前の通り吐かなかった。


 そしてそれは「みどりの日」に実行された。神戸にたどり着くと在来線で長田区へ向かう、靴作りのメッカだ。

「すいません、この間電話しました早川です」

 そう言うと、さっそく高見真知子に靴を注文させた。

「まぁ、彼女へのプレゼントに?良かったわね、素敵な彼でねぇ」

 今の所事情を知らない彼女は、接客を担当しているだろう店主の奥さんの言葉にはにかむ。

「あ、あのお話した通り、行程は見せていただけますか?」
 
 そう言うと、思い出した様に奥の工房に通してくれた。

「これな、包丁や。ヘラみたいやろ?」

 時々簡単なレクチャーを入れながら、熟練の手さばきは流石目にも止まらない。
 早川は弟子入りでもした様なしっかりした返事で、写真に収める許可を貰うとジコジコとフィルムを巻く。

「兄ちゃんまだ若いんやろ、なんで靴作ろう思うたんや?」

 そう聞かれると、本人もなぜなのか今になって気付いた。

「あの、えっと・・幸せに向かって、歩いて欲しいからです」

 店主は、君が?と聞いた。早川は急いで人への贈呈品として制作すると答えた。

「兄ちゃん、なかなかおもろいな・・エエやろ、もう使わん道具やろう。持っていけ!で、またわからん事あったら聞きにおいでや!」

 早川の答えを聞くや、大きな声で笑った後そう言ってくれた。強面が笑うと、なんとも言えぬいい笑顔になる。本当に気のいい店主だった。
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