冷徹御曹司は初心な令嬢を政略結婚に堕とす
第一章 十億円の社長令嬢

「だから就職しなくてもいいと言ったんだ」

十一月下旬、麗らかな小春日和の午後三時。
久々に家族が全員揃ったリビングルームで、父の遣る瀬無さを含んだ怒り声が響いた。

五十代も半ばに差し掛かり白髪が目立つようになった父は、向かい側にある革張りのソファに腰掛けると、いつもは柔和な顔の眉間にぐっと深いシワを刻む。
しかし、叱責の言葉とは裏腹に目尻は垂れ下がり、『我が子を守れず悲しい』と優しい視線が訴えていた。

「……ごめんなさい。だけど私も、お父さまの力に少しでもなりたくて……」

言葉にすると自分自身の無力さを改めて痛感し、ソファに腰掛けたまましゅんと肩を落とす。

私――櫻衣(さくらい)(みお)は大学卒業後から、父が代表取締役を務める老舗アパレル企業『株式会社櫻衣商事』に勤めていた。

勤めていた、と過去形なのは私がすでに退職した身だからだ。
昨日二十五歳を迎えたばかりの私が、優良企業を唐突に辞めて〝無職〟になったのには、一応、理由がある。

家族以外にはなかなか話し辛い理由だけれど……。

ひとことで簡潔に言うならば、職場で嫌がらせを受けていて、それに毎日堪えるための気力と体力がとうとう限界を超えてしまったのだ。
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