冷徹御曹司は初心な令嬢を政略結婚に堕とす
「かすかに良い匂いもして、なんだか癒されます。もしかして、フランキンセンスですか?」

「ああ。フランキンセンスは眠りを誘う香りと言われている。不安や心配ごとなどからの解放を促し、リラックスさせてくれるらしい」

ボウルのお湯には一滴程度のわずかな精油を垂らしている、と穏やかな声音で彼が答える。
使用しているフランキンセンスは中でも最も希少とされている最上級のもので、オマーン産のサクラ種だとか。

クレオパトラや楊貴妃も愛した香りだというこのアロマを、私も睡眠不足解消に何度か用いた経験がある。
しかし、いつだって、こんなにゆったりとした気持ちにはならなかった。

「澪」

「……はい」

「君はもう、俺の妻になった。だから、今夜から君は何も気負わなくていい」

その言葉に、心を強く繋ぎ止めてくれる緊張の糸がふわりと緩む。
今日のように感情をぶつけて誰かに弱音を聞いてもらったのは……初めてかもしれない。

無意識のうちに鼻がツンとして、瞳がじわじわと熱くなる。

「君はただ、俺に思う存分愛でられていてくれ」

そっと耳元で甘く低い声音で囁かれた言葉が、優しく耳朶を擽る。

今までの出来事が全て涙として流れ出してしまわぬよう、私は目元に当てられたタオルを両手でぎゅうっと押し付けた。
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