心の鍵はここにある
「こいつはどんな時でも余裕のある表情を崩した事ないのに、やっぱり凄いな、彼女(五十嵐さん)の威力は」

 何だかとんでもない発言が飛び出してきた。
 と言うか……、先輩が何故照れたのかが分からない。
 きっと過去の彼女達に呼び捨てで名前を呼ばれていただろうに、やはりさん付けだから珍しかった?
 高校時代のバレー部の後輩達は、直さんと呼んでいた。
 当時の私は、何と呼んでいた……?
 ……直先輩、だったな。たった、数ヶ月だったけど。
 あの日、あの言葉を聞いてからは呼べなくなってしまったけれど。

 それからしばらくの間、みんなで歓談していたけれど、みんな翌日も仕事なので、まあまあ早い時間に解散となった。
 小料理屋の前で、藤岡主任と春奈ちゃんと別れて、私は駅の方へ向かおうとすると、背後から呼び止められた。

「里美、まだ時間、いいか?」

 先輩の目は、私を射抜く様に見つめている。
 この目で見つめられると、身動きが取れなくなってしまう。

「……いえ、今日はもう帰ります。やりかけている事がありますので」

 電車の時間も確認していなかったので、駅方面へと向かう私の隣に並んで歩き始めた。

「じゃあ、駅まで送る。最寄駅はどこ?」

 歩きながらも会話は続く。
 私が駅名を告げると、先輩も偶然同じ駅が最寄りの駅だそうで、お互いが驚いた。

「通勤も今まで気付かなかっただけで、もしかしたら一緒の電車だったのかもな……。
 何だか惜しい事をした」

 そんな事を言われ、言葉をなくしてしまった。
 嘘ばっかり。そんな事、思ってもいない癖に。
 私の心の中に、どす黒い感情が渦巻いている。

 騙されちゃダメ。信用しちゃダメ。また、好きになっちゃダメ。
 あの頃の様にまた泣くことになるなら、これ以上は踏み込まない。
 あの日、あの時に心に鍵をかけて、恋心は封印した筈だ。
 駅に着くと、タイミング良く電車が入ってきたので一緒に乗り込んだ。
 帰宅ラッシュの時間帯を外れているおかげで、車両は空いている。
 先輩は私をシートに座らせて、私の前に立った。
 身長が高いだけに、目の前に立たれるとかなりの威圧感がある。
 何となく、流れで先輩の彼女になったみたいだけれど、これでいいのだろうか。

『今日から彼女』とは言われたけれど、『好き』とは言われてない。
これって、あの頃の様に付き合う意味があるのだろうか。
 それにこのままでは、それこそ私は都合のいい女ではないだろうか。
 そもそも私を、彼女扱いする意図がわからない。
 何故、私なんだろう。
 また、あの頃の繰り返しなのだろうか。
 私は電車に揺られながら、学生時代の出会った頃の事に思いを馳せた。


< 15 / 121 >

この作品をシェア

pagetop