約束 ~幼馴染みの甘い執愛~

 夕暮れの橙色の中で、どちらからともなく交わしていたいつもの挨拶。仲が良い幼馴染みの、ある日突然言えなくなって、聞けなくなってしまった言葉。

 でも、もうその言葉は必要ない。確かに懐かしいとは思うが、今の雪哉が欲しいのは『また明日』なんかじゃない。

「言われてみればそうだね。昔は毎日言ってたから、なんか懐かしいな」

 けれど懐かしそうに嬉しそうに笑う愛梨は、まだその言葉で満足しているようだ。仲が良い幼馴染みの『また明日』で十分とでも言うように。

 愛梨は、生物学上の雪哉の性別は理解している。けれど雪哉が『男』であることを、本質的には理解していないように感じる。恋人の弘翔の事は『男』として意識しているくせに、雪哉の事はそういう尺度ですら測っていない。

 『約束』をしたときと同じ、雪哉に対する認識が『仲が良い幼馴染み』の状態で停滞している。それが言葉や態度の端々から感じられるから、時折、無性に腹が立つ。

「愛梨」
「え……?」

 少し、仕返しをしたくなった。自分ばかりが愛梨の隣を欲していて、愛梨は『幼馴染みのままでいい』と言っているような言動が、あまりにも面白くなくて。

 愛梨の腕を掴んで引っ張ると、油断していた彼女は簡単によろめいてしまう。その細い身体を腕の中に収めると、愛梨は驚いたように硬直した。そのまま、耳元に唇を寄せてみる。

「おやすみ」

 そしてたった一言だけ、囁く。
 瞬間的に飛び退いた愛梨が、また真っ赤な涙目になりながら、自分の耳元を押さえてわななく。その様子を見たら、少しだけ。ほんの少しだけ満足した。

「~っ、だから…! 日本では恋人じゃない人に、そういう挨拶しないの!」
「恋人じゃないのは、今だけだ」
「……えっ、……は?」
「愛梨はもうすぐ俺の恋人になる。そしたら毎日、隣でおやすみって言えるのにな」
「……!!」

 だから時々、こうして意識付けしていかなければ。黙って見ているだけでは、愛梨の心はいつまで経ってもこちらに向いてくれないから。
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