イチゴ 野イチゴ

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 不意にめまいがした。目の前の映像はテレビを見ているかのようにぶれて、壊れてゆく。
 優馬の手を探して握る。
 ひんやりとした手の感触は柔らかく、ミイナの手を力強く握り返してくる。
「大丈夫だよ。オレもこの先何が待っているのか知らないんだ。だけど、ミイナの為にきっと悪くない結果になるって信じてる」

 不安は大きくて怖かったけど優馬の言葉は不思議に、春の日差しのように暖かく信じる事ができた。

 目の前の霧が晴れてゆく。雑踏の騒がしさが幾重にも遠く近く聞こえてくる。
 街を行く人の影、そのどれもが忙しそうでせわしない。
「あ」
「え」
 二人同時に声をあげた。

 知っている街の景色。渋谷、そうだこの街は渋谷に違いない。
 ミクと一緒によく買い物に出かけた。ソフトクリームを食べながら歩き、安いアクセサリーを買って喜んだ。クラスメートの仲間たち、ワイワイやって公園まで歩いた。
 誰かの彼氏ができたと聞いて、みんなでそうっと後をつけたりした事もあった。

 その雑踏の中、スクランブル交差点、思い思いの方向から歩いてくる人たち。
 その中に確かに、自分がいた。
 そして、その向こう側に優馬が歩いている。距離が離れているからか、知っている者同士には思えなかったが、優馬がおもむろに耳にスマホを当てて話し出した。
「着いたよ、今どこにいるの?」

 話し相手は自分じゃない。誰だろう。交差点を渡りきったところで、優馬が手を振る相手は、自分じゃない、あたしにそっくりだけどあたしじゃない。

 ミイナは人ごみで見え隠れするその先に目を細めた。
 そうだ、それは同じ顔したミクだった。
 そのミクを見つけて、ふてくされた顔で近寄ってゆくのはミイナだ。

「これから、大学戻らなくちゃならないんだから、こんなとこまで呼び出さないでよ!」
 ミクの横に近寄ってゆくと、さっき歩いていた優馬がすっと寄り添った。

「ごめんごめん、初めまして北村優馬です。忙しいのにごめんね。挨拶だけしておきたかったから」
 そう言って笑う優馬を見て、ミイナが苦笑いをする。

「いえ、ミクの彼氏に会わせてって頼んだのはあたしの方なんで、すみません。そんなつもりで文句いったんじゃなくて、あの」
 いつになく、はにかんで女の子っぽい。

「とりあえず、お茶しましょう?それくらいの時間だったらあるでしょう?」
 なんにも決められないはずのミクからの提案。行先は初めから決めてあるようで、先に立って歩いていくミク。

「本当にそっくりなんだね」
 ミクの後を歩きながら、優馬が上からミイナの顔を覗き込みながら横を歩いていく。
「ミクがこんなに趣味がいいとは思ってなかったです。へへ」
 恥ずかしそうに笑う自分が優馬にポゥっとなっている。

 雑踏の中、三人はどんどん遠くに歩いていく。
 三人の様子を知りたい、見たい。
 そう思ってもそれ以上、近くに行くことはできなかった。
 まるで映画のワンシーンのようだ。

 渋谷の街は、相変わらず人がたくさん通り過ぎていって、三人の姿をみつけることはもう難しい。


 ふと、その様子を見ているのがミイナだけじゃない事に気がついて、横をみあげてみると優馬があっけにとられたような表情になっている。
「見た?」
 ミイナはその半分口を開けたままの優馬に聞いてみた。

「あ、あれ、オレ?」
 その問いに頷いて答える。
「たぶん、きっとそうだと思うよ。ミクの彼氏って言ってなかった?」
 低いミイナの顔をじっと見つめて
「オレ、ミクちゃんの彼氏だったの?」
 知らないよ、と思いながらうなずくミイナ。

「待って、今見たのってオレら大学生だったじゃん?って事は、ずっと先の事だって事だよな?」
 女の子二人も、優馬も少し大人びて背も高くなっている気がする。

「じゃ、将来彼氏になるって事かな?」
 少しだけ、胸のどこかがうずいている。どこかが嫌だって言っている。
 さっき見た自分の表情はたぶん今と同じような気分なんじゃないかな。
 どうしてだろう、ミクの彼氏が優馬だと思うだけで、ソワソワしちゃうのはなぜだろう。

 周りが暗くなってゆく、辺りが人工的な光に埋め尽くされて夜の街が浮かび上がってくる。
 不安はもう一度優馬の手を探させた。見つけると握りしめる。ヒンヤリした感覚とあたたかい感覚が一緒にやってくる。優馬もミイナの手を強く握り返した。

 それはおしゃれな感じの店の中だった。
 床も天井もログハウスのような木でできていて、白いワイシャツに黒くて長いエプロンを腰に巻いたウェイターが優雅に銀色のトレーを手に忙しそうだ。
 奥行きのある店かと思ったら向こう側の壁は鏡になっている。
 慣れた手つきでテーブル席のカップルにジュウジュウ音を立てたステーキ皿を置く。辺りに香ばしい肉の匂いと笑顔が広がって行く。鉄板に乗った肉の塊は厚みがあり、ソースをかけると更にジュウジュウ音をたてる。

「ステーキハウス?ここ」
 傍らの優馬に聞く。
「そう、なんだか懐かしい気持ちになるのはなんでかな」
「来た事がある、とか?」
 思い出そうとしているのか、少しきつい目つきになって店内を眺めている。
 いくぶん、暗い感じの照明は大人びた印象で自分には不似合いな気さえしている。

 広い間隔でとってあるテーブル席の奥に鉄板を目の前にしたカウンターがある。
 すぐ真上にある照明に反射してつやつや光って見える木目のテーブルのカウンター席には、女の子が座っている。
「あれ」
 優馬は、戸惑った表情を作って
「いや、ごめん、区別つかないよ。どっち?」

 そう、後ろ姿じゃわからないだろう。それがミクなのミイナなのか。
 二人で近づいてゆく。周りの人たちには姿は見えていないようだ。

 それは、いくぶん大人っぽくなっているけれどあたしだ、とミイナは思った。
「あたし、少しお姉さんにみえるけど」
 カウンターの向こう側からウェイターがハンバーグステーキの乗った皿を置く。
 出来立てのハンバーグは湯気を立てていてとっても美味しそうだ。
『どう?そっちは、うまくやっている?』
 お姉さんになったミイナがハンバーグを口に入れながら、つぶやいた。

「あれ?」
 いつの間に座っていたのか、左隣に全く同じ服装のミクが座っている。こちらも同じようにハンバーグステーキを美味しそうに頬張っている。
『調子いいわよ。あたしたちは最強でしょ?』
 ふふ、と笑いながら目の前のミイナが横をみて
『そうね、最強だよね』
 笑いあう二人。

 優馬が不思議な顔をして見つめる。
「何か違和感があるんだけど、何がそう思わせるのかわからない」
 ミイナはそれほどの違和感は感じない。むしろ、自然だなと思う。
 ミクもあたしミイナも、いつだって、あんな感じでおしゃべりしてる。お互いの事認め合って。
 大丈夫だ、とか強いよ、とか最強だよとか。
 ミイナには感じない何かを優馬は感じていた。

『こうなって、良かった』
 ミクが呟く。
『そうだね、少しやりずらい事もあるけどね』
 ミイナが頷く。
『彼氏は元気?あ、聞くまでもないか』
 ミクがポテトを口に運びながら笑う。
『決まってるよ。調子いいって。そっちもでしょ?』
『決断する時はするからね』
 ミクの言葉。
『おお、それでこそ、我が妹』
 二人は笑いあった。

「何かが、違っているような」
 まだ、優馬はそんなことを言っている。
 将来の姿なのだったら、こんなに幸せそうで良かった。
 なんだか安心した気分になったミイナ。

 それでも
「ミイナ見てごらんよ、ちゃんと足があるよ!良かった、将来は何も変わりなく過ごせてるんだね」
 とても、安心したように優馬が呟いた。

 ふと、今立っている自分の足元をみやって、びくりとした。
 足元の形は膝から下を失っている。暗い煙みたいな中に足を突っ込んでいるみたいな状態だ。
「うそ!」
 優馬の腕を掴んで握りしめた。

 それを見て優馬が目線を下におろして愕然とする。
「なんで?どうして?」
 足を持ち上げようとして、そこに何も存在していないことが改めてわかった。
「どうしよう、やっぱり歩けなくなっちゃうのかな?」
 泣きそうな声で下から彼を見上げた。

「待って!オレはミイナを助けるために来たんだ。どうしてかって言うとオレがミイナの足を奪ったからなんだよ」
 優馬は頭を抱えて、何かを思い出そうと必死な顔になった。

 あたしの足を奪ったのが、優馬くんだって?それはどういう事なんだろう?

 そうだ、あの時家族がいるテーブルを囲んで、不思議な会話を聞きながら、なぜだかあたしは優馬くんに会うために走っていた。
 あたしがどうしてこうなったか、なんでみんなが悲しそうな顔をしているのか。
 それを知っているのは、優馬くんだって事をあたしはその時すでに知っていた。
 そして、それを解決できるのもなぜだか、彼だって事も。

 ミイナの胸の奥で少しだけ、何かが開く気がした。

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