赤鬼と黒い蝶
SHOCK 16
 ◇

 初めて信也のアパートを訪れたのは夜だった。その時、修理工場の看板を見ることはなかったが、日中見ると工場の外壁はボロボロで、車庫の錆び付いたトタンが風に煽られパタパタと音を鳴らし、今にも飛んでいきそうだった。

【天下泰平】と書かれた看板だけが、妙に真新しくピカピカと光っている。

「本当にお化け屋敷みたいだな」

 修理工場の中で、年配の男性がバイクの修理をしていた。人の良さそうなお爺さんだ。

 あたしはバイクを停め、男性に声をかける。

「こんにちは」

「いらっしゃい。バイクの修理かね?」

 男性は帽子を脱ぎ、あたしに頭を下げた。

「いえ、社長さんいますか?」

「天下泰平の社長はわしだが、お嬢さんは?」

「あたしは織田さんの友達です。入院されているので、着替えを取りに来ました」

「信也のお友達ですか。はて、以前何処かで逢いましたかのう?」

「……いえ」

「そうですか? さて、誰じゃったかのう」

 社長はあたしの顔をマジマジと見ている。社長こそ、誰かに似ている気もするが思い出せない。

「あの……社長さんのお名前は?」

「わしか、徳川家康(とくがわいえやす)じゃ」

「……徳川家康? 戦国武将と同じですね」

「ほほう。若いのに戦国武将を知っておるのか?」

「はい。信也が織田信長のファンなんです」

「ファンとな? なる程、その手があったか。信也は息を吹き返したのだな?」

「はい。でも記憶障害で……。混乱しているみたいなんだ。社長さんの顔を見れば落ち着きを取り戻すかもしれません」

「記憶障害? ……信也が混乱するのも無理はない。誰しも錯乱するものじゃ。わしのように命を全うしこの世に来たならば、思い残すこともないじゃろうが、信也や(ひで)のように無念であればあるほど、この世でうつけに戻ってしまうのじゃからのう。世渡り上手ならば、この世で上手く生きられたものを、信也は協調性も適応能力にも欠けておる。この4年間、必死に己を抑え生きてきたようじゃが、陥没事故に遭い、あの世のことを思い出してしまったのじゃろう」

 この社長……。
 さっきから、何を言ってるの?

 この世とか、あの世とか、信也は生きているのに、わけわかんない。

「信也は4年前からここで社長さんにお世話になってるんですよね」

「そうじゃ。わしはこの地に来て、かれこれ20年になるが、どこに落ちるかそればかりは誰にもわからぬからのう」

 どこに落ちるか……?

 家族を亡くし、天涯孤独となった信也は
暴走族に入り荒れた時期もあった。そんな信也を見放さず、ずっと見守ってくれたのは、この社長さんだったと聞いた。

 でも、ちょっと変わり者。

「あの……鍵を貸して貰えますか? 着替えを纏めたら、病院に案内します」

 あたしは社長から信也の部屋の合い鍵を受け取り、階段を駆け上がる。隣室の表札は浅井(あざい)、その隣室は毛利(もうり)となっていた。

 部屋に入ると、ギシギシと床が悲鳴を上げる。カラーボックスから衣類を掴みバッグに詰める。見上げると、本棚には歴史書と戦国時代のDVD。

『通称お化け屋敷』

 ふと、信也の言葉を思い出し、歴史書を手に取る。

 室内には変わった様子はない。
 部屋の隅に木刀が1本あるだけ。

 元暴走族の信也、部屋に木刀があっても不思議ではないが、その木刀を手に取ると、その感触に妙に懐かしい気がした。

 社長が徳川で、隣室が毛利と浅井。
 偶然にしては、何か変だ。

 まさか、居酒屋のマスターは豊臣じゃないよね?
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