ニセモノの白い椿【完結】
それからほどなくして、退職届けを提出した。
最初に直属の上司に辞める旨を伝えた時、驚きのあまりなのか10秒くらいは無言だったと思う。
いつまで黙っている気かとこちらから声を掛けようと思ったら、突然俺を見上げこう言った。
「今日は、4月1日か?」
「は?」
「上司相手にからかうんじゃない」
まあ、そう思われても仕方がない。
他の行員ならともかく、頭取の息子だからな。
「からかってなどおりません。勝手を言って申し訳ありませんが、よろしくお願い致します。退職するまでの一か月、きっちり引継ぎさせていただきます」
「――ちょっと、待て」
一礼して立ち去ろうとしたら、引き留められた。
「頭取――いや、お父上はなんと?」
仕方なく踵を返そうとした身体を元に戻す。
「辞めることの報告は致しました。反対も賛成もしておりませんでしたので、私の意思を尊重してくれたと承知しております」
淡々とそう述べる。
あの時父は、何も言わなかった。
だから、その腹で何を思っているのかは知らない。
ただ、俺の思いは理解したはずだ。
それをどう解釈してどう受け止めたかは知らないが。
「とにかく。よろしくお願い致します」
先ほどより深く頭を下げて、自分の席へと戻る。
一行員と言えど、俺は頭取の息子だ。
この辞表について、間違いなく人事の方から父親に確認が行くことだろう。
だから――。
この退職届けが受理されたら、父親は俺の意思を受け入れたということになる。
俺は前を見よう。
これから先の人生は、俺が選んだものだ。