ガラスの靴の期限

 一度は離れた床に、再び膝をつく。

「っ、」

 危ねぇなと文句のひとつでも言ってやろかと口を開きかけたその瞬間、するりと眼前から伸ばされた腕が首に絡み、僅かに引き寄せられる。
 ふにゃり、半開きだった唇に触れたそれが何なのか、なんてのは考えるまでもない。

「……やめろ」

 ぺろり。顔を背けたり身体を押し退けたりといった抵抗をしなかったからか、下唇を舐めたあと互いのものを絡ませたいと差し出されたそれを低音で拒む。
 馬鹿じゃねぇの。あり得ねぇだろ。
 口走りそうになったそれは飲み込み、首に絡まる腕を解いて、距離を保つ為に後ろへと上体をのけ反らせれば、思いの(ほか)すんなりと離れた二本の腕はそのまま下へと落ちた。怒鳴らずとも、拒絶を見せればさすがに理解するだろう。
 そう思ったのも束の間。かちゃり、ベルトの留め具を弄る音が室内に響く。

「っおい!」
「っ嫌だ!ゆ、ずる、お願い、」
「やめろ離せ何なんだよお前!頭オカシイんじゃねぇのマジで!」
「っ」

 言い訳をするならば、思わず、だった。
 その場から退かすつもりで伸ばした手を上から下へと振り下ろしたのも、その手を固く強く握りしめていた事も、全部、思わず、だった。
 ごっ、と鈍い音がして、クズ野郎の頭が揺れる。じわ、と緩やかに生まれた痛みが手の甲を侵食して、はっ、と短い息がもれた。
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