溺愛音感


友野さんの声を聞いた途端、緊張が全身を襲い、心拍数が跳ね上がった。
冷や汗が滲み、深呼吸しても、弓を持つ手の震えが止まらない。


(やだ……どう、どうしよう……)


やっぱり弾けないかもしれない。

そう思って顔を上げると、友野さんと目が合った。

わたしがよほど情けない顔をしていたのだろう。
友野さんはふっと笑い、愚痴交じりの軽口を叩いた。


「うん、いいねぇ。そうやって僕のことずーっと見つめててくれないかな? テンション上がるから。オケのみんなは、ぜんっぜん僕のこと見つめてくれないんだよね。寂しくってさ。たまには楽譜から顔上げてくれよーって思う」

「友野先生がイケメンだったら、一秒たりとも目を離しませーん」

「同感でーす!」


美湖ちゃんとフルートの女性が反論をぶつければ、友野先生はビシッと指揮棒で二人を指し示す。


「おい、そこ! 俺がイケメンに見えないなんて、眼科へ行け」

「先生こそ、鏡見てくださーい」

「きっと曇ってると思うんで、鏡磨いてから見てくださーい」

「おまえらな……」

「大丈夫ですよ。友野先生が十年前はイケメンだったことはわたしが証言します」


ヴィオラの首席奏者と思われる四十代くらいの女性が手を挙げる。


「荒川さん……十年前って……いまは違うって言うんですかっ!?」

「ええ、残念ながら。でも、あんまりイケメンだと見惚れて演奏ミスるかもしれないので、友野先生のような残念なくらいのイケメン具合が、ちょうどいいと思います」

「ぜんぜん慰めになってませんよ、それ……」

「ええ。慰めていませんから。現実を教えて差し上げているんです」

「うわぁっ! 傷ついた俺が来週から練習に来なくなったらどうする気なんですかっ」

「別の指揮者を頼むだけです」

「くぅっ……冷たい……こんなにないがしろにされても、このオケから離れられない俺ってMだな……」

「先生の性癖はどうでもいいですから、さっさと始めましょ。時間が勿体ないですよ」


夫婦漫才のような掛け合いに、団員たちが声を上げて笑う。

すっかりリラックスしたところで、友野先生はわたしに微笑みかけた。


「ご覧の通り、指揮者も適当に扱う団員たちだから、遠慮せず好きに弾いていいからね?」


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