溺愛音感


作れないと断られたのは、そんなに昔のことではない。
もしかして、あれからひそかにおせんべいの作り方をマスターしたのだろうか。


「調べた結果、できないこともないとわかったが、生地を天日干しする時間が確保できなかった。だから、せんべいの素を使う」

「せんべいの素……。そんなのがあるんだ?」

「ああ。炭火で焼くだけでいいから、簡単に作れる。七輪で十分だろう」

「七輪?」

「とにかく、明日は初のせんべい焼きに挑戦するぞ! ハナ」


詳細は不明だが、焼きたてのおせんべいを食べられるなんて、嬉しすぎる。


「忙しいのに、いろいろ調べてくれてありがとう。マキくん。でも……疲れてるなら、無理しなくていいよ」


焼きたての手焼きせんべいをぜひとも食してみたいが、おせんべいよりマキくんの健康が大事。
急ぐ必要もない。

貴重な休みだ。家でまったりゆったり過ごしたほうが、疲れも取れるのではないかと思った。

しかし、マキくんは軽く首を振り、ふわりと笑う。


「無理はしていない。ハナが喜ぶ姿を見られれば、疲れも癒される」

「そ、う……?」

「だから、ハナは何も気にせず『せんべい』を楽しめばいい」

「でも、マキくんは楽しくないんじゃ……」

「言っただろう? 楽しそうにしているハナを見るのが、楽しいんだ」

「…………」


せっかく止まった涙が、また溢れそうになり、慌てて目を瞬く。

胸がきゅうっとなって、苦しくて、でも幸せで、どうにかしていまの気持ちを伝えたくなったけれど、何と言っていいのかわからない。

もどかしくて、いっそ言葉はいらないんじゃないかと思って、目の前にあるマキくんの唇に、自分の唇を重ねてみた。

重ねただけでは物足りなくて、柔らかな唇から奥へ、舌を入れてみた。

いつも、マキくんがするように。


「――っ!」


てっきり、キスを返してくれると思ったら、マキくんはびっくりしたようにアンバーの瞳を見開き、硬直している。

あまりの驚きように、こちらの方がさらに驚く。
慌てて唇を離し、確認した。


「……イヤだった?」


茫然とした表情のまま、マキくんは反転してわたしに背を向けた。


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