溺愛音感
「中学に入ってからは、椿と一緒に写っているものばかりだ」
中学校の制服を着たマキくんと、ランドセル姿の女の子が手を繋いでいる。
「……か、かわいい」
今よりもっと童顔のマキくんは、学ランさえ着ていなければ女の子と言われても頷いてしまいそうだ。
「あの頃の柾に、かわいいは禁句だった」
「いまも?」
「おそらく」
学生服が、学ランからブレザーへ、ブレザーからスーツへ。
顔つきや体つきも、少しずつ大人びて、少年から青年へ、青年から大人の男性へと移り変わっていく。
しかし、子どもの頃とはちがい、写真は数枚ずつしかなかった。
「あとは……秘蔵のDVDがある。見たいかね?」
にやりと笑う松太郎さんに、大きく頷いた。
「見たいっ!」
「柾には、内緒だ。こっそり手に入れたものだから」
「もちろん、黙っておきます!」
何のDVDなのか、ワクワクしながらモニターを見つめる。
映し出されたのは、中央にグランドピアノが置かれたステージ。
左手の舞台袖から現れたのは、いまより線が細く、顔つきも若干幼いスーツ姿のマキくんだ。
「これ……って」
「柾がピアノを習っていた先生は、毎年生徒の演奏会を開いていたんだが、そのDVDだよ。オリジナルは菫さん――柾の母親が持っているが、最後の演奏会の分だけ、コピーしてもらった」
司会が告げた曲名は、「ベートーヴェン ピアノソナタ第二十三番『熱情』 第三楽章」。
マキくんは、ぺこりとお辞儀をするとピアノの前に座るなり、無造作に弾き始めた。
すぐに、絶妙なペダリングが作る、重いながらも淀みや濁りのない音に耳を奪われた。
変化をつけて繰り返されるフレーズは歯切れがよく、しかし素っ気なさはない。
何度もピアノの端から端まで移動しなくてはならないが、スピードは落ちない。
弾く姿は淡々としているが、激情と冷静さのバランスを保って奏でられる音楽は表情豊かだ。
技術も、音楽性も、素人の趣味レベルはとっくに通り越している演奏だった。
圧倒され、瞬きするのも忘れて聴き入る。
抑制されていたものを解き放つような最後のPresto。
力強い和音の連打、楽章を通して耳に残っているフレーズ、そして華やかな高音。
最後の和音では、ピアノが壊れるんじゃないかと思った。
『APPASIONATA』の通称に相応しい演奏だった。