溺愛音感
二人の後について、リビングから一度廊下へ出て奥へ進み、突き当りのドアを潜る。
十畳ほどの空間には、グランドピアノとアップライトピアノ、譜面台にソファーセットがあり、背の低いキャビネットには楽譜やCD、DVDがずらりと並んでいた。
壁には、薄型のモニターと一緒に、弟子と思われる人たちと撮った写真がいくつも飾られている。
「あとでじっくり見てもらっていいから、まずは弾こうか」
キョロキョロしていたわたしを三輪さんが促し、友野先生はグランドピアノの前に座る。
ヴァイオリンをケースから取り出して調弦を終え、ソファーに座る三輪さんを見遣る。
三輪さんは、にっこり笑って予想外のことを言い出した。
「いま、ハナちゃんに聞こえている曲を弾いてみて」
「え」
「ハナちゃんの頭の中で流れている音楽、チャイコフスキーじゃないでしょ? 僕の予想では……クライスラーとか、エルガーとか、かな?」
「…………」
まさかそこまで見抜かれているとは思わず、硬直する。
「ハナちゃんは、演奏する曲によって弾き方も音もガラリと変えるから、バレバレだよ。初めてハナちゃんのCDを聴いたとき、一曲ずつ別人が演奏しているのかと思ったくらい。ようく注意して聴いていれば、同じ人間だとわかるけど、器用だねぇ」
「あ、の……」
三輪さんには、なんとなく正体がバレているとわかっていたけれど、まさか面と向かってはっきり言われるなんて思ってもみなかった。
しかも、友野先生の前で。
言い繕う言葉も見つけられず、口をパクパク開け閉めするわたしに、正体を知られていないはずの友野先生が呆れたような声で指摘する。
「あのさ、ハナちゃん。普通は、いくら上手くっても、ど素人がいきなりコンチェルトなんか弾けないから。むしろ、ハナちゃんのレベルでプロじゃないと言われたら、そっちの方が驚くし」
「え……」
「みんな、気づいていても言わないくらいの配慮はできる大人ってこと。ヨシヤと美湖に、くれぐれも、ハナちゃんの正体を詮索するような真似はしないでほしいとお願いされたしね」
そんな根回しがされていたなんて、まったく知らなかった。
「団員の中には、中止になったハナちゃんの日本公演を楽しみにしていた人もいて、生で聴けるだけでも感激だって言ってるよ」