溺愛音感


残響が消え、さざ波のように拍手が広がっていく。

美湖ちゃんがシメの挨拶をすると、エントランスに話し声や笑い声が溢れ出し、途端に賑やかになる。

ヴァイオリンをしまい、ヨシヤたちと練習に顔を出す約束をした後、苦い表情で睨んでいるマキくんに歩み寄る。


「ただいま」

「予定では、明日帰国するはずだろう?」

「待ちきれなかったの」

「快適さや安全を犠牲にしてまで急いだ理由は?」

(先に理由を問い質すのはマキくんらしいけど……まずは、妻の早い帰国を喜んでもいいんじゃぁ?)

「一刻も早く、マキくんにお知らせしたいことがあって」

「だったら、電話を使えばいいだろう?」

「顔を見て、直接話したかったの!」

「じゃあ、ここで、いますぐ話せ」

(お、俺様め……)

「柾。友人としてのアドバイスだが、ここではない場所で聞いたほうがいいと思うぞ」


椿さんから告げられた経験からだろう。
雪柳さんが親切にも忠告してくれたが、マキくんはむっとした表情で彼を睨む。


「蓮は黙ってろ」

「了解」


あっさり引き下がった雪柳さんの目は、きらきらしていて、この事態を面白がっているのが明らかだ。

しかも、こっそりポケットからスマホを取り出し、撮影しているようだ。
きっと、あとで椿さんに見せ、必要に応じてマキくんをからかったり、脅したりするのに利用するつもりなのだろう。

(うわぁ……相変わらず、腹黒い……)


「ハナっ! さっさと言え!」


しびれを切らしたマキくんに急かされて、溜息を吐く。


「来年、家族が増えると思う」

「家族?」

「だから、マンションじゃないところに引っ越したい。松太郎さんのところがいいと思う」

「なぜ、お祖父さまのところに引っ越したいんだ? そもそも、どうしてマンションではダメなんだ?」

「マキくんって、時々ものすごく鈍いよね」

「なっ……ハナにだけは言われたくない!」

「だから、子どもが出来たのっ!」


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