【短】あの夏を忘れない
不思議と涙は出なかった。
これが現実なんだと分かっていたからかもしれない。
何処か冷めた気持ちで、いつもは出向くことのない繁華街へと足を運んで、その一角にある喫茶店に入る。
『私、好きな人から貰うものなら、なんでも嬉しい方なんです。例えば、飲みかけの飲み物とかでも…好きな人からもらうなら、嬉しいでしょう?』
そう言って、照れくさくなった私に、彼は飲みかけのバーボンをくれた。
『これでも、嬉しいって思ってくれるの?』
なんていうツボを押さえた誘い文句だと思っていたけれど…。
今思えば、私はあまりにも幼過ぎた。
「ふっ…ぅ」
ぽたり、ぽたり、とテーブルに置いた手に冷たい雫が落ちていく。
なかったことにしたいなら。
初めから欲しがらなければよかった。
届かないものに憧れていただけ。
ただ、愛し過ぎただけ…。
それだけ、彼は魅力的なヒトだった。