眠れない夜をかぞえて
ポスターが仕上がって送られてくると、事務所は騒然となった。原因は分かっている、俺だ。

「やっぱり一ノ瀬さんかっこいい」

「そういうことは言うな」

バイトの門脇がポスターを眺めながら言った。

仕事が出来る彼女を個別に面談して、社員にならないかと誘ったが、彼女はどうしてもテレビ局に挑戦したいと言い、すみませんと断られてしまっていた。

門脇だけじゃなく、事務所にいるスタッフ、上役、それこそタレント練習生からもはやし立てられた。

「で、この女性モデルは誰ですか? 予定していたモデルは天候トラブルでキャンセルになったと聞きましたけど?」

「急遽あいているモデルをスタジオに呼んだんだ」

口が裂けても桜庭だとは言えないし、言いたくない。

「すごく、なんて言うか、素人ですけど一ノ瀬さんの表情が優しいというか、切ないというか、そうそう、仕事では見ることが出来ない、う~ん、恋人だけに見せるような表情、それがすっごくいい!」

門脇はなかなかするどい。このときの俺は、モデルじゃなかった。

仕事でこの表情を要求されても、きっと出来ないだろう。

午前中は社長や幹部に呼ばれて、褒めの言葉をいただく。そこでも相手モデルを聞かれたが、打ち合わせ通りに違うモデルの名前を言った。

そのモデルには、仕事を回すという、裏工作もばっちりにしていた。

桜庭は出来上がったポスターを見ようともしない。

恥ずかしいのは分かるけど、顔がはっきりと写っているわけでもないので、恥ずかしがることはないのだ。

「絶対に見ないわ」

と、意固地に見えるほど、頑なな桜庭に、上司として命令した。

「桜庭、このポスターを所定の位置に貼ってきて」

「……はい」

可愛く睨んでも俺に効果はない。会社で俺の命令は絶対だ。

桜庭とのつきあいは、ゆっくりと穏やかに進んでいた。忙しい俺とのデートは、もっぱら人気のいなくなった事務所だ。

テイクアウトした弁当を一緒に食べて、話をした。

「悪いな、いつも」

「私は気にしてないし、こういうデートも好き」

桜庭は俺をまだわかっていない。不満なのは俺だけか?

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