冷酷御曹司と仮初の花嫁
 打算が駆け巡る。

 マンションを貰うつもりはないけど、住むところもあるなら、今払っている家賃も貯金出来る。今の狭く、湿ったアパートの一室から環境のいい場所にお母さんを移すことも出来るかもしれない。もう一度人生をやり直せるかもしれない。

 目の前にぶら下げられてエサがどんなものかも分からずに食いつくのが危険なのは分かっている。一度、断ったものの、お母さんのことを考えれば、この話は悪い話ではない。でも、どうしても結婚となると躊躇しないわけがない。


 そして、目の前で私を見つめる佐久間さんは、私が今、断ったことすら気にしてないような気がした。自分の中で私を捕獲できる自信があるように見えた。きっと仕事も出来るのだろう。

 江藤さんが戻ってきて、千夜子ママが佐久間さんの隣に座ると、佐久間さんはニッコリと笑った。それは最初の一手だった。

「ママ。この子をアフターに連れて行きたいけどいいかな?」

 その言葉に千夜子さんは珍しく顔を強張らせた。

 職業柄、微笑みを絶やさない千夜子さんは私の顔を見ると、素の表情で、心配そうな顔をした。まさか新人である私がアフターに誘われるとは思わないだろうから、自分が席を外した間に何があったのかを探っているのを隠すように微笑みを浮かべた。

 佐久間さんは諦めているわけではなかった。さっきの話はあれで終わったわけではなく、私の一瞬の心を緩みを見つけてしまったのかもしれない。

「千夜子ママが心配するようなことはないよ。ただ、着物も似合うし、綺麗で可愛いから何かご馳走しようかと思っただけだですよ」

 半分は本当かもしれないけど、きっと、さっきの話を詰めるつもりだと思う。結婚の話を断るなら付いていくべきではない。でも、心のどこかに母を安心させたい気持ちと、今の生活から抜け出したい気持ちもある。

 それが私の心の緩みだと思った。
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