冷酷御曹司と仮初の花嫁
 このマンションに滞在した時間は10分程度で、玄関先に待たせてあったタクシーに乗り込むと、今度は本当に花鳥に向かって動き出した。そのタクシーの中はまた無言で、何を考えているのか全く分からなかった。

 結婚というのは籍を入れるだけではなく、彼なりに誠意を見せようとしているのかもしれないと思った。


 タクシーで花鳥の駐車場に着いたのは予約の時間の時間ぴったりだった。先に佐久間さんが降りて、私に手を差し出してくれる。一瞬迷ったけど、手を借りた方が着物の私は動きやすい。

「ありがとうございます」

「足元に気を付けて」

 佐久間さんはニッコリと微笑み、私がタクシーから降ろすとスマートな物腰で私の方を見つめた。

「花鳥は初めてだよね。でも、緊張しないでいいよ。女将も気さくな人だし、何よりも食事が美味い。きっと気に入ると思う」

 私は気に入るも入らないもなく、明らかに普通の店とは違う。佐久間さんが居なかったら、携帯で写真を撮りたいくらいだった。

 一流料亭と言うだけあって、門から、家屋までの間に手入れの行き届いた日本庭園が続いていて、飛び石の周りの細かな石は上品な筋が描かれ目を奪う。

 佐久間さんの後ろについて石畳の奥に歩いて行くと、そこには萌黄色の着物を着た女性が待っていた。

「ようこそお越しになりました」

「すみません。急に」

「いつもありがとうございます。いつものお部屋を準備しておりますので、ご案内します」

 萌黄色の着物を着た女性は私の方にも軽く会釈をしてから、ゆっくりと案内し始める。着物の私が急がなくてもいいのが気遣いなのかもしれない。

 屋内に入ると真っすぐに一番奥に向かって歩いて行く。テレビで見た政治家が密談をするような雰囲気の店に私は足が竦む。そして、奥の部屋に入る格子戸を抜けると、畳の匂いがした。

「こちらにご用意しています。もしも、何かありましたら、インターフォンでお呼びください」

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