婚約破棄するはずが、一夜を共にしたら御曹司の求愛が始まりました
 願いを、希望を、はっきりとした形にするのが怖いのだ。紅のトラウマは本人が思う以上に、根が深かった。『幸せ恐怖症』とは、玲子はうまいことを言ったものだ。紅はまさにそれだった。宗介との幸せな結婚を心の奥底では望んでいるのに、それを認めることができない。幸せから逃げたくなる。


「懇親会ですか?」

 出勤してきたばかりの紅に声をかけたのは、先輩の田端だ。今夜、懇親会があるからどうかという誘いだった。

「すまん。先週末に話そうと思ってたんだが、バタバタしててすっかり忘れてた。急だから先約があるなら無理しなくていいぞ」
「いえ。特に予定はないですが……他の課となんて、珍しいですね」

 課内の飲み会は数か月に一度くらいの頻度で、定期的に開催されている。だが、今夜は別の課と合同らしい。
 田端はポリポリと頭をかきながら、少し声をひそめて言った。

「まぁ、ぶっちゃけると若手だけの合コン……みたいな? あ、俺が若手じゃないことにはつっこむなよ」
「田端さんはお若いですよ」
「完璧なお世辞をありがとよ。上のフロアに三木っているだろ?」
「あぁ、三木くん。爽やかでいい子ですよね」

 紅よりひとつ下の後輩だ。仕事上の接点はあまりないが、彼は田端と仲がよく紅たちのフロアに時々顔を出すから顔見知りだった。

「俺の大学の後輩でもあるんだけど、あいつが早川にひとめ惚れしたんだと」
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