君といた夏を忘れない〜冷徹専務の溺愛〜

 寒くて俯きがちに歩く私の視界に、質の良い茶色の革靴が見え、立ち止まる。目の前にいるその人の顔を見るのが怖くて、踵を返して逃げ出そうとしたが、腕を掴まれた。

「楓……!」

 切羽詰まったような掠れ声に、驚いて思わず顔を上げた。すると、見たこともない、泣きそうに歪む遼一さんが、そこにいた。

「遼一さん……」
「愛梨沙ちゃんは俺の子じゃない!」
「アイツ……眞梨子とも何もない!」

(え……)

 いきなりの驚くべき情報に戸惑う。
 眞梨子さんは遼一さんの従姉妹で、他の男性と結婚しているそうだ。ただ、昔から遼一さんのことを想っていて、遼一さんに近づく女性に嫌がらせを繰り返していたそう。彼女が私に言った内容は事実無根なのだと説明された。

「俺は楓だけだ。楓と付き合ってから、今日までずっと、お前だけだ」

 遼一さんの手が、私の腕を握りしめている。私が逃げるのを恐れている。懇願するような眼差し。こんなに弱々しい遼一さんを見るのは初めてだ。驚きで声が出ない。

「この先も、ずっと楓といたい。お前がいない人生は考えられない。──愛しているんだ」

 ヒュっと喉が鳴る。2年前、ずっと、ずっと、その言葉が欲しかった。でも、甘えることも、強請ることも出来ずに、背伸びばかりしていた。貴方に追いつきたくて。大人になりたくて。
 
「……2年前、遼一さんはそんなこと全然言わなかったじゃないですか……」
「それはっ」
「生まれも育ちも、年齢も、貴方とは何も釣り合わない。2年前も今も……遼一さんと私は住む世界が──」
「違わない! こうして、触れ合える距離に居るだろう!」
「っ!!」

 腕を引っ張ってそのまま抱き締められた。
 遼一さんが声を荒げるなんて。

「楓が大切なのは前も今も同じだ。ただ、お前は若い。未来を縛ることを言えば、重荷に感じてしまうんじゃないかと思って、2年前は何も言えなかった」
「……重荷?」
「楓の前では大人ぶりたかったんだ。……それでも、離れたくなくて、『空港で待ってる』とお前に告げた。もし、あの時来てくれたら、一生離さないと言うつもりだった」

(じゃあ遼一さんも、私との未来を考えてくれてたということ?)

「記憶喪失になったことも、それを側で支えて守ってやれなかったことも、悔しくてたまらない。だから、楓と離れるのは、もう、嫌だ!」
「遼一、さん……」

 大人の余裕のある人だとずっと思っていた。だけど、目の前にいる彼は、余裕なんかなさそうで……。全身で、私に愛を伝えてくれている。

「楓、ごめん。俺みたいな年上の男は嫌になったのかもしれないけど、離してやれない。頼むから、俺と、結婚してくれ。」
「!!」

 あの頃夢見ていた言葉を、今全部貰った気がした。
 信じても、いいのだろうか。

「……私、また、忘れちゃうかもしれませんよ?」
「何度忘れても、その度にお前を口説くよ。だから大丈夫だ。」

 遼一さんがくしゃりと笑う。その顔が大好きだ。今も、2年前も、やっぱり貴方が。

「この先ずっと、楓と生きていきたい。側にいて欲しい。それだけだ。だから、お前は何も心配せず、俺と結婚してほしい」
「……はい」

 小さな私の返事に、遼一さんの肩がピクっと反応する。私は、ゆっくりと遼一さんの背中に手を回した。
 
「……わたしも、遼一さんが、大好きです……」
「──っ! 楓っ! ありがとう……!」

 その時、二人で流した涙を、私はきっとずっと忘れないと思う。

 
< 28 / 30 >

この作品をシェア

pagetop