耽溺愛2-クールな准教授と暮らしていますー
「お母さん……そんなこと言って。いつもすぐに着物買っちゃうんだから、その帯だって、今まで見たことないし」

呆れるように言った杏奈に、お奥さんがふふふと笑って自慢そうな顔をする。

「ああこれ?いいでしょう?瀞金錦(とろきんにしき)

瀞金(とろきん)とは、蒔絵(まきえ)の技法を使った本金箔の帯だ。
日本最高峰と名高い職人たちの手によって作られた芸術品のようなこの帯は、和装業界でも人気が高い。

「もう、着道楽なんだから……」

「あら?いいじゃない、杏奈。私にとって着物は会社員のスーツみたいなものよ?」

「にしても多すぎじゃない?その前だってヒロ君に新しい帯買ってもらったでしょ」

「あなただって修平君に新しいドレス買ってもらってたじゃない」

「だってあれは!……修ちゃんが会社のパーティに一緒に出る時に必要だって言うから」

「同じことでしょう?私も仕事で使うんだもの」

「もうっ!お母さんったら……」

杏奈が頬を膨らませた時、小さな笑い声が聞こえてきた。母子(おやこ)の会話が止まる。

「くすっ、ふふふふっ、……」

二人が揃って向けた視線の先には、楽しそうに笑う美寧の姿が。

「うふふふっ、…笑っちゃってごめんなさい……お二人の会話がとても楽しくて、聞いてる私まで楽しくなっちゃいました」

美寧の笑顔に、杏奈が頬を染める。
話している間に奥さんと修平もカウンターに腰を下ろしていた。

カウンターには奥から怜、美寧、杏奈、修平、奥さん、の順で座り、マスターはカウンターの中で追加のコーヒーを落としている。アンジュは修平と杏奈の足元で大人しく伏せていた。

美寧の笑いが落ち着いた頃、隣の怜がポツリと言った。

(たちばな)……ゆかり、でしょうか……」

「え、なに、れいちゃん?」

美寧が振り向くと同時に、マスターが言った。

「おっ、流石だな」

「やっぱり……そうだったんですか」

「え、なに?どういうこと?」

美寧の頭に疑問符が飛ぶ。怜は自分から一番遠くに座る奥さんの方を見て言った。

「確か、ヒカリ出版の新人賞の審査員を【橘ゆかり】が務めると、ネットの記事に出ていました」

「そうそう。それな」

「あら、バレちゃったわね」

うふふ、と楽しげに微笑む奥さんとなぜか自分のことに誇らしげなマスター。
二人を見比べた美寧は、やっと「奥さんって、作家さんなのですか?」と驚いた声を上げた。


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