耽溺愛2-クールな准教授と暮らしていますー
[1]


静かな部屋に、黄昏とコーヒーの香りが満ちている。

縁側からさしこむ夕暮れの陽射しが、柔らかく足元を照らすソファー。その端に座り、両手で包むように持っているカップにふぅふぅと息を吹きかけると、立ちのぼった白い湯気が溶けるように茜色の中に消えていった。

美寧と怜を乗せた車が藤波家の前に着いたのは、少し前のこと。

『ミネ———着きましたよ』

そう声をかけられて目覚めた。
いつのまに眠ってしまったのだろう。ついさっきまで見慣れた景色が窓の外にあったはずなのに———。


父が手配してくれた送迎車に怜と乗りこみ、名残を惜しむ歌寿子に『また来るね』と何度も手を振って、あの家をあとにした。

門の前で手を振る歌寿子がどんどん小さくなり、見えなくなった途端、寂しさにしょんぼりと肩を下げた美寧。そんな美寧の頭を、怜は励ますように優しく撫でてくれた。

父と兄はひと足早く、祖父の家を出ていた。土曜日だというのに父は仕事があるという。相変わらず忙しいようだ。
それなのに、父は美寧の為に杵島邸(ここ)まで来てくれた。そのことに今更ながら父の愛情を感じて、胸がじわんと温かくなる。

『また来ようね』とか『お父さまたちはもう着いたかな』とか、何でもないようなことを口にしたあと、車内が静かになった。運転手は黙って仕事に徹している。
美寧はぼんやりと車窓の向こうを眺めていた。

子どもの頃からもう飽きるほど見てきた道や建物。街路樹の落葉松もあの頃と少しも変っていない。
それなのに、一年ぶりに見る“故郷”の景色は、なぜかとても新鮮で。
すべてが新しく生まれ変わったように、陽に照らされて溶けた初雪の雫すらキラキラとまぶしくて、美寧は飽きもせずにずっと窓の向こうに流れていく景色を見ていた。

それなのに、呼びかけられて開いた目に飛び込んで来たのは、それとはまったく別の景色。
もう一つの“見慣れた”景色が、そこにあった。





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