年下ピアニストの蜜愛エチュード
4 天空のノクターン
 開け放した窓から、透き通った音色が十月の夜気に溶けていく。

 初日の営業を終えた『ジェラテリア・チャオチャオ』では、オープニングパーティーが開かれていた。開店祝いの花で埋め尽くされた二階のカフェには大勢の人々が集まり、その中には千晶と順もいる。

 誰もが言葉もなく聴き入っているのは、アンジェロのピアノだった。パーティーのゲストとして、お祝いに演奏を披露しているのだ。

 アンジェロは、誰もが知るような超一流のピアニストだ。とはいえ、そこに流れている空気はリサイタル会場のようなかしこまったものではなく、みながシャンパンやジュースを片手にくつろいでいる。おしゃべりよりも、彼の演奏を心から楽しんでいるのだった。

 曲目はたまたまなのかショパンが多かったが、どれもよく知られていて美しいものばかりだ。千晶がいつも聴いているため、幼い順もおとなしく座っていて、ときどき目を輝かせて見上げてきた。

 生で聴くアンジェロの演奏は本当にすばらしく、千晶は何度も胸が熱くなった。その音色はCDよりずっと柔らかく、心の奥まで染み入ってくる。

(指先から、光が零れているみたい)

 アンジェロのことを、いや、そもそもクラシックのすばらしさを、千晶に教えてくれたのは義兄の昭だった。

(聴かせたかったな……昭さんにも)

 本当は「義兄さん」と呼ばなければいけないのに、つい名前を言ってしまう千晶に、昭はいつも「なんだい、ちあちゃん」と笑顔で答えてくれた。だから今、順も同じように呼ぶのだ。

 ――アンジェロ・潤・デルツィーノは最高のピアニストだって言っただろ、ちあちゃん?

 もし彼がこの場にいたら、そう言って得意げにウィンクしてみせただろう。そんなふうにキザな仕草をしても、昭にはよく似合っていた。

 大好きな、いや、本当は初恋の相手で、姉の美雪の夫だった昭。

 けれど千晶は彼への思いを、本人にはもちろん、誰にも秘密にしていたのだった。
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