年下ピアニストの蜜愛エチュード
「ご、ごめんなさい、アンジェロ。重いでしょ? 私、代わるから」

「大丈夫だよ。僕は平気だ」

「順ったら、ほんとにもう」

 パーティー会場を抜け出し、ショッピングモールの屋上庭園に来たものの、順は数分もしないうちに寝入ってしまったのだ。今はアンジェロにおんぶされて、ぐっすり眠っている。

 なりゆきとはいえ、彼にこんな真似をさせてしまい、千晶はどうにもいたたまれなかった。けれど何度代わると言っても、アンジェロは笑いながら首を振る。

「兄のパトリッツィオの気持ちがよくわかったよ。僕も小さいころ、遊び疲れると、よくこんなふうに背負ってもらったから。子どもって、あったかいんだね」

「そうだけど……」

 きらめくような演奏を聴いたばかりだから、千晶はますます落ち着かなくなった。順のせいで、もしアンジェロが怪我でもしたらどうしたらいいのだろう?

 すると、ふいにアンジェロが笑い出した。

「千晶、深呼吸して」

「えっ?」

「少し落ち着いて、周りを見てごらん。すごくすてきだから」

 言われてみれば、せっかく屋上まで来たのに、確かに順にばかり気を取られていた。

「あ」

 改めて周囲に目をやると、思わずため息が出た。ベリーヒルズで働き始めてしばらくたつのに、千晶がこの庭に来るのは初めてだったのだ。

 金や銀の砂を撒き散らしたような夜景、屋上にいるとは思えない端整な池泉式回遊庭園――あちこちにハロウィン用の提灯が飾られ、遊歩道に囲まれた中央の池には、オレンジ色の光が揺れていた。

「ね、きれいだろう?」

「え、ええ、とても」

 素直に頷いて、隣を見上げると、アンジェロは目元をなごませた。

「心配になるよ。千晶は、もう少し人に甘えた方がいいと思う」

「だけど私は――」

 心配する必要なんてない。そう言いたかったのに、千晶の唇はキスで封じられてしまった。順を背負った不自由な体勢のせいか、口づけはぎこちなく、すぐに離れていった。
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