年下ピアニストの蜜愛エチュード
 そういえば、あの時はどの演奏が好きかと問われ、迷って答えられなかった。そのせいで千晶もまた彼のピアノではなく、外見だけに惹かれていると誤解されたのだろう。

「三嶋さんをいいなと思ってたから、よけいすねちゃったのよ。でも順くんから『ショパンさん』って呼ばれて、あなたが自分のCDをたくさん聴いてくれているとわかって……本当にうれしかったんですって」

 西村はためらっているのか、少し間を置いた。

 ここからが本題のような気がして、千晶は無意識に身構える。

「気の毒な甥御さんを育てる、きれいで健気な看護師さん……あの子みたいな恋愛初心者には鉄板かもしれないわね。ああ、こんな言い方をしてごめんなさい。だけどアンジェロは、あなたとの未来を真剣に考えているの」

「えっ?」

「でも恋愛と結婚は違うわ、三嶋さん。アンジェロが相手なら、なおのことよ」

 言葉を失う千晶に、西村は噛んで含めるように続けた。

 アンジェロの実家であるデルツィーノ家は爵位を持つ古い家柄で、イタリアでは実業家としても知られているという。城館のような家、各地にある別荘、多くの使用人、社交界での付き合い――ドラマや映画でしか見たことのないような暮らしを今も続けている人々だそうだ。各国の王族とも付き合いがあるらしい。

 たとえ末っ子とはいえ、彼の妻になれば、その一員として恥ずかしくないように振る舞い、夫を支えなければならない。

「そんな家だから、私の姉もそれなりに苦労したみたい。今は認められているけどね」

「わ、私は――」

 突きつけられた事実はあまりに重かった。ことの重大さにただ圧倒されて、千晶は口をつぐむ。

 富裕な外国の貴族に嫁ぐのは、御曹司やCEOと結ばれるよりもハードルが高い。まして年上で子連れ、しかも言葉も不自由な自分にはとうてい無理な話だった。

(結婚なんて……ありえないから)

 アンジェロの妻になることなど頭の片隅にもなかったが、結婚しないのであれば先に待つのは彼との別離しかない。

 互いの傷が深くなる前に、早く心を決めるべきだ――実際に言葉にはしなかったものの、西村の瞳はそう語っていた。
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