夜には約束のキスをして
 遠慮されることはわかっていたから、聞く耳も持たずに和真は駆け出した。叫んでいるであろう瀬名の声も、たちまち風雨の向こうにかき消えていった。あとはただひたすら身体に雨が打ちつける。
たちまちスラックスどころか、肩どころか、全身から水が滴りはじめた。下着にまで水が染み込んで、疾走する身体から熱を奪っていく。まだ九月だというのに、雨の滴は季節を先取りするかのような冷たさだった。
 自宅まで続く坂道を一気に駆け上がって、門を乱暴に押し開けると、軒下に駆け込んだ。ほとんど雨の届かないところまできて、ようやくひと心地つく。水をたっぷり飲み込んで重くなったバッグがずるりと肩から落ち、着地の瞬間べしゃりと音をたてた。膝に両手をついて荒い息を吐きながら、水びたしになったバッグの中身を思って気持ちが萎えそうになった。
 この天気の中を傘なしでというのはやはり強引だったかと分かりきったことを再認識しつつも、あの場ではそうするしかなかったのだから仕方がないと思う。和真は全力疾走でたどり着ける距離に自宅があったからまだいい。瀬名は傘を吹き飛ばされた場所からさらに一キロほど歩いていかねばならない。走るにしろ、歩くにしろ、それほどの距離をこの雨の中、傘なしで行けば確実に風邪をひく。それを見過ごすくらいなら、自分が割を食うことを選択する程度には、和真はお人好しだった。
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