夜には約束のキスをして
 今夜もまた裏口からひと目を忍んで入り込む。通い慣れた道を満月の光が照らしていた。庭を抜けた薄暗がりの向こうに、戸を開いて和真を待つ深青がいた。
 彼女が待っているのは本当に自分なのだろうか……。
 どんな顔で彼女の前に立てばいいのかと、弱音を吐く心をねじ伏せ、平然とした風を装って、室内から漏れる光の中に入っていった。
 六畳一間の深青の部屋は嵐の前となにも変わらなかった。ぴたりと閉じられた障子、二つ並べられた座布団、明かりの下に深青が座る……すべてがいつもどおりだ。それなのに、他の男と口付けしたときもこうだったのだろうかと、いちいち考えてしまう自分がいる。
 今夜の深青は萌黄色の着物を着ている。和真以外の男と相対したとき、その着物は、少しでも乱れたのだろうか。ちりりと焦げ付くような痛みを胸が訴えた。

「和真、座らないのか?」
「あ、ああ……」

 腰を下ろせば深青との距離はぐっと近づく。それを無意識に恐れている。しかし、今さら避けて通ることなどできない。和真は、ほんの数秒のうちに覚悟を決めて、座布団に腰を据え、深青と正面から向き合った。
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