夜には約束のキスをして
 ないだろう? とは言わせなかった。

「二晩もあいてしまったのに、お前はこうしてぴんぴんしている。他の男とキスをしたんだろう?」

 深青の表情が硬直した。忙しなく動く瞳が動揺を如実に表していて、言うべき言葉を探すように彼女の唇がわなないた。

「そ、れは……違う……その、そんなことはしていない……。ただ、その……なぜか、平気になっていて……毎日じゃなくても……大丈夫に――」

 その奥歯にものが挟まったようなもの言いに、耳をふさいでしまいたい衝動に駆られる。誤魔化すならもっと上手に誤魔化せばいいものを。彼女の口から直接否定の言葉を聞いても、これほど信じられないなんてことがあるだろうか。
 深青の口ぶりはなにかを隠している。でなければ、普段率直にものを言う彼女が、このような迂遠な言いかたをするはずがない。
 和真は力なく頭(かぶり)を振った。

「そんな下手な言い訳は、いい」
「言い訳なんかじゃ――」
「深青、ごめん。今の深青にキスはできない。ごめん、無理だ」

 和真は身をひるがえした。障子を開いて、部屋を出ていこうとする。背後で深青も立ち上がった気配がする。けれど、和真は今すぐにここを立ち去るべきだと思った。今の和真は冷静さを欠いていて、とても話を聞いていられる状態ではなかったのだ。

「和真、聞いてくれ! 本当に私は――!」

 追いかけてくる深青の必死な声に、心の中でひたすら謝罪を繰り返した。それでも、足は止められない。
 帰宅の途を、満月がもの悲しく照らしていた。
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