今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 ふたりを乗せた車は、あっという間に安寿の高校の近くに着いてしまった。航志朗は校門の近隣のコインパーキングに車を駐車した。予定よりもずいぶんと早い。まだしばらく安寿と一緒にいられると航志朗は甘い期待をした。

 (ここで、いってきますのキスをして……)

 つい妄想が航志朗の頭のなかに浮かんでしまった。しかし、安寿は礼を言うとさっさと車を降りて学校に行ってしまった。車の中に一人残された航志朗は切なくため息をついた。

 (ああ、よかった。早めに着いて)

 安寿は胸をなでおろしながら校門を通った。校庭で運動部の部員たちがちらほら朝練をしているのが見えるだけで、まだ校舎の中はしんとしている。昇降口の靴箱の前で安寿は上履きに履き替えるのに手間取った。

 「あれ? 安寿さん、けが大丈夫なの」

 安寿がその声に振り返ると、朝練に行く途中の大翔がユニフォーム姿で立っていた。

 「あ、大翔くん、おはよう。大丈夫、捻挫だし」

 「安寿さん、捻挫を甘く見ちゃだめだよ」と大翔は言って、安寿のリュックサックを持って三階にある教室まで運んでくれた。階段を難儀そうに上がる安寿を見かねて、大翔は「よかったら、僕、おんぶしようか?」とまで言ってくれた。ラグビー部で鍛えている大柄な大翔だ。航志朗よりも軽々と持ち上げてくれそうだったが、もちろん安寿は遠慮した。

 (いちおう、私、結婚しているんだものね……)

 その後、莉子と蒼も登校してきて、安寿はふたりにも手厚くサポートを受けた。安寿は心から友人たちに感謝した。莉子は「ゴールデンウィークに安寿ちゃんと遊びに行きたかったけど、ゆっくりおうちでお休みしないとね」と少し残念そうに言った。

 六時間目が始まった頃から、安寿はそわそわと落ち着かない気持ちになってきた。

 (皆に気づかれないように、どうやって、あのひとの車まで行けばいいの?)

 ショートホームルームでは担任教諭から連休中の大量の宿題が出されてクラス内で大ブーイングが起こったが、安寿はうわの空だった。

 莉子も蒼も部活に入っていない。帰る方向がふたりとも安寿と違うのにも関わらず、莉子と蒼は一緒に電車に乗って安寿が最後に乗り換える駅まで送ると言い出した。

 安寿は大変困った。仕方がないので、安寿はふたりに正直に話した。だが、もちろん航志朗との関係までは話せない。

 「あのね、親戚のひとが車で迎えに来てくれるから、大丈夫」

 「そっか、それなら安心だね」と莉子が言ったので、安寿は心からほっとした。だが、「じゃあ、その迎えの車まで送るよ」と蒼が言い出して、安寿は愕然とした。

 蒼が安寿のマウンテンリュックサックを背負い、莉子は安寿を支えながら三人は校舎を出た。結局、莉子と蒼に航志朗を会わせることになってしまった。胸の内で安寿は自分に言い聞かせた。

 (大丈夫、大丈夫。親戚のひとだって、押し通せばいいだけだもの)

 道すがら「ほんっとに、宿題多すぎてやんなっちゃうよね。せっかくのゴールデンウィークなのに!」と莉子は大声で文句を言った。

 「まあ、俺たち、受験勉強しなくていいんだから、しょうがないじゃないか」と莉子をなだめるように蒼が言った。安寿がふたりに同意しようとした時、ふと校門を遠目に見てその言葉をあわてて飲み込んだ。

 校門に寄り掛かって、航志朗が腕を組んで立っていた。ただでさえ学校関係者以外が校門にいるのは目立つというのに、航志朗のあの容姿だ。下校していく生徒たちがちらちらと航志朗を見ながら通っていた。当然、女子生徒たちは色めき立っていた。「あのひと、誰、誰?」と。

 航志朗はそんな視線をまったく気にも留めずに、安寿を見つけるやいなや、安寿に向かって大きく手を振って大声を出した。

 「安寿ー!」

 思わず安寿は顔を伏せた。あまりの恥ずかしさに顔が真っ赤になった。

 「えっ? 安寿ちゃん、あのひとがご親戚の方?」

 莉子が驚いて安寿の顔を見た。

 「う、うん……」

 その困惑した安寿の姿を見て、蒼は怪訝そうに航志朗を見やった。
  
 航志朗はお構いなしに安寿のところまで走って来て、蒼に礼を言って安寿のリュックサックを受け取った。そして、まるで当然のことのように、安寿の肩に手を回した。安寿は思わず身を固くして航志朗を見上げた。航志朗は初対面の莉子と蒼に向かって気さくに言った。

 「安寿の友だちだね。いつもありがとう。これからもよろしくね」

 航志朗はクールに微笑みながら安寿をうながして、ふたりは去って行った。

 「安寿ちゃーん、お大事にねー!」

 あっけにとられていた莉子があわてて手を振りながら大声で言った。安寿はその声に振り返って小さく手を振った。

 「なんて素敵な方なの!」と莉子がぽわっと赤く頬を染めて、安寿と航志朗の後ろ姿を見送った。蒼は顔をしかめて思った。

 (あいつ、二年の時に安寿を車で送りに来ていたやつか)

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