哀愁の彼方に
の主人やその使用人たちの紹介で、使用人の生まれ故郷の山深い辺境の江州の無医村の診
療所へ迎えられた。二人共、年老いて頭には白いものが多く目にとまる頭をしていた。市
松も節も、少しではあるが、丸中屋で受けた恩を返せる喜びを身体じゅうから発散してい
た。節は、市松のために働きに働き腰は、わずかにかがんでいた。二人は、この診療所に
迎えられる前に正式に籍を入れて夫婦となった。それは、丸中屋の主人やその使用人達の
薦めで正式な結婚をした。
 市松は、節に対して節が、彼に感謝する以上に感謝をしていた。彼が節に感謝をする思
いは、深い愛情以上のものであった。節は、市松が内科医になってからもよく働いた。こ
の夫婦には、子供が授からなかった。そのことがよけいに二人の愛情を深くしていた。二
人は、大変な子供好きで、すべての子供に対して自分の子供に対する愛情を捧げることが
できた。そのせいなのか、村の子供たちも市松と節に慣れて、よく二人の診療所へやって
来た。市松は、病人がいないときには、診療所を開放して待合室で子供たちの勉強の面倒
を見たりアニメ映画を見せたりしていた。とりわけ市松が、勉強の手伝いをする算数と理
科については、子供たちから人気があった。彼は、苦労をして独学で勉強をした経験から、
子供たちの勉強の手伝いをすることに生き甲斐のようなものを感じていた。彼が、子供た
ちに見せる理科の実験では、自然の摂理を応用した実験であった。それは、子供たちに別
の世界を感じさせた。彼が、子供たちに見せた、シャボン玉の中に人間が入り込む実験や
節のパウダー・アイシャドウを使っての指紋採取や氷と塩を使ってアイスクリームを作る
実験に子供たちは仰天した。
 市松と節の診療所には、診療所独特の消毒臭はあったが、病める人の重苦しさは、不思
議なくらいになかった。二人の診療所は時には、重病人のための病院となり、時には、村
の寄り合いの場所となった。このような雰囲気を作り出すには、節のなみなみならぬ苦労
がその下にあった。節は、村の子供たちの名前や村人たちの名前をいち早く覚えて、気さ
くに語りかけては、女性にしかできない相談に載っていた。また節は、留守になった村人
の家庭にも食事の準備にも嫌な顔を見せることなく気軽に快く応じた。村人達は、この二
人を生きた字引として尊敬していた。
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