哀愁の彼方に
「そこや!だから、先生は、百姓のこと何にも知らんと言うんや!」
市松は、それほど腹立たしくも感じなかった。彼は、これよりも数倍、いや何十倍もの試
練を乗り越えてきた自信があった。彼は、いたって冷静であった。村人達は、彼のその冷
静さが、よけいに疑わしく感じた。
「苗は、あります。山向こうの野尻村では、晩生苗ですが、残っているそうです。」
「そんなことどうして解るんや!」
「野尻村は、私が奉公人のころ商いによく出向いた村です。幸い野尻村は、このような大
きな被害を被ることもなくこの大雨を乗り切りました。村長の武田新太郎さんの話だと、
晩生苗でよければ、植え付け用の苗を無料で提供してくれるそうです。」
「先生!ほんまにあんたには頭が下がる!みんな、ここは先生の話に乗ってみては?」
村長の内山広吉が、村人の心に相槌を入れた。すると、中村健三が、照れくさそうに口を
開いた。
「わしは、情けない人間や。酒に溺れている間に、先生がこんなにわしらのために心配し
てくれていたことを思うと、わしは、情けない。先生!わしは、先生の言う通りに水田を
復旧しますで」
「健三さん!おおきに!やりましょう!」
村人達から、ざわめきが起こった。それは、水田を復旧する声であった。この計画は、市
松一人のアイデアではなかった。節が、身を粉にして作り上げた計画であった。そのこと
を市松は、村人に説明した。村人達は、節のそれほどの心使いに感謝をして、節の計画の
通り水田の復旧をすることで意見が一致した。まず、行政との手続きは、村長の指示で役
場の人間が担当することになった。災害復旧費用の援助手続きと被災者への低利融資の手
続きが開始されて二週間目に、県の役人が数人、四輪駆動車に乗って被災状況を把握しに
来た。しかし、災害救助法の適用には値しないとはき捨てるように言った。復興事業への
援助費用として三百万円しか拠出できないことも説明した。低利の融資については、百五
十万円までなら長期返済期限の二十年で融資ができることも説明した。節と市松は、当初
復興費用の援助金は、五百万円と聞かされていたので県の役人にその理由の説明を求めて
彼らに詰め寄った。その理由は、この村より他に甚大な被害を受けた村があり、災害救助
法の適用を受けるほどの被災状況でないことにあった。節と市松は、無念であった。これ
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