バイバイ、ベリヒル 眠り姫を起こしに来た御曹司と駆け落ちしちゃいました
 ふと見上げると社長が私をじっと見つめていた。

 ええと……。

 なんだろう。

 額に汗がにじみ出して、髪の毛が張りつくのを感じる。

「何階だ?」

 あ!

 美術館が何階にあるのか聞いていなかった。

 自分の行き先くらいちゃんと確かめておくべきだったのに、今さら手遅れだ。

「あ、あの……、す、すみません」

 私の返事に社長の眉が上がる。

「だから、何階だ?」

「わ、わかりません」

 眉間に深くしわを寄せながら社長がため息をついた。

「広報の人間が何をやってるんだ。ええと、星崎といったか」

「総務からの応援なんです」

 私は涙をこらえるのが精一杯だった。

「なるほど、そうなのか」

 社長はそうつぶやきながらスーツの内ポケットからスマホを取り出した。

「七階だな」

 チラリと見えた画面には美術展のウェブチラシが映っていた。

 階数ボタンを押すと、すぐにエレベーターが動き出す。

 でも、重量物も運べる業務用だからなのか、ワンフロア上がるのにもずいぶん時間がかかる。

 社長は壁を背にしてこちらに向きを変えた。

 おわびを言うべきか、何かしゃべらなければと思えば思うほど言葉が出てこない。

 一秒一秒がものすごく長く感じられる。

 気まずい。

 だんだん背中が丸くなっていく。

「どうした? 具合でも悪いのか?」

 え?

 顔を上げると、社長がまっすぐに私を見つめていた。

「いえ、大丈夫です」

「すごい汗だぞ」

 それはその、自分史上、最大の緊張状態ですから。

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