バイバイ、ベリヒル 眠り姫を起こしに来た御曹司と駆け落ちしちゃいました
「話って何ですか」

「会いたかったんだ」

「私は会いたくありませんでした」

「気持ちを知ってほしかったんだ」

「私は知りたくありません」

「君に謝りたかった」

「なんとも思ってませんから、結構です」

 社長が黙り込む。

「話がないなら失礼します」

 私は雨の中を歩き出した。

 社長がついてくる。

「ついてこないでください」

「すまない。言いたいことはいっぱいあるのに、何から言えばいいのか分からないんだ」

「私の方には聞きたいことはないので、もうこれ以上つきまとわないでください。本当に警察を呼びますよ。社長も立場があるでしょうから、ご自身のことを考えてください」

 あ、スマホは家に置いてきたんだった。

「『元』社長だよ。今は何の肩書きもないさ」

 話しているうちにアパートに着いてしまった。

 階段を上がって二階の通路で立ち止まる。

「中に入れるわけにはいきませんから、ここで帰ってください」

「話がしたいんだ」

「じゃあ、ここで、言いたいだけ言ってください」

 徹也さんは口を真一文字に結んだまま、降り続く雨の方へ視線を向けていた。

「違うな」と、つぶやいたきり、また黙り込む。

「何が違うんですか」

 手が痛くなって買い物袋をドアの前に下ろす。

 冷凍食品をたくさん買い込んだのに。

「何かを言いたいんじゃない。君のそばにいたかったんだ」

「言いたいことはそれだけですか。なら、帰ってください。二度と来ないでください」

「君のそばにいたかったから、邪魔なものはすべて捨ててきたんだよ」

「それはしゃちょ……あなたの個人的価値観なんでしょう。私には関係ありません」

「会見を見てくれてたのか?」

 私は答えなかった。

「君を傷つけてしまったことは本当に済まないと思っている。俺自身、あのとき、君を守れなかったことを後悔しているよ。まさか母さんがあんなことを言うとは思ってなかったんだ。だけど、分かってほしいんだ。俺は本気だったし、初めて自分をさらけ出して分かり合えたことがうれしかったんだよ」

「それは思い違いです。分かり合えてなんかいませんし、あなたのことを分かりたいとも思っていません。どうせ遊び相手なんかいくらでもいるんでしょうから、適当に都合のいい相手を見つければいいじゃないですか。私じゃない誰かと……」

「君だけだよ」と、徹也さんがドアに手をついた。「俺にとって大切なのは君だけだ」

「遊び相手には事欠かないってお母様も言ってたじゃないですか」

「あれは、でたらめだよ。君に説明しただろう。写真なんか、いくらでもだませるって」

「そう言っておいて、逆に、私をだまそうとしたんじゃないですか」

 徹也さんが深くため息をついた。

「違うよ。お願いだ。どうしたら信じてくれるんだよ。俺は相手をもてあそべるほど器用な男じゃない」

 情けない表情で私を見ている。

 あのベリヒルの高層階にいた同じ人とは思えない。

< 81 / 87 >

この作品をシェア

pagetop