交錯白黒
私は、生まれた瞬間から生きる道が定められていた。
それ以外の路線を歩くことは許されない。
ただ、決められたときに、決めれた位置で、決められたことをする。
まるで、操り人形である。
楽しみがなかった訳ではない。
生活に困窮した訳ではない。
将来の希望が無かったのだ。
面白味のない、結果の分かる安全な道をいい子を演じて歩く、それしかできなかった。
不自由なことには、保険がある。
自由なことには、リスクがある。
私は、例えどんなにリスキーでも、自由でありたかった。
一人娘だから、父や母の期待に応えられるのは、私だけ。
父も母も、病院を私に継がせる気でいた。
それに縛られて、私は当然のように医師になるかのように扱われた。
私には、私の夢だってあるのに。
何でもできて当然。
優秀な医師の遺伝子を受け継いでいるのだから。
そんなのは空想の夢物語にすぎないのだ。
だけど、そう見せざるを得なかった。
努力して、努力して、努力し続けてやっとできるようになったことでも、それがすぐできて当然だからみっともないとでも言うように両親になじられた。
努力を、認めて貰えることは一度も無かった。
寧ろできないことばかりを指摘され、叱られた。
勿論、勉強面ではそれ以上に厳しかった。
1位を獲るなんて最低限、全国の上位に入らなければならなかった。
だから……睡眠時間を惜しんでまでも、徹夜してでも勉強した。
シャー芯の空ケースが着々と溜まっていった。
それでも。
一度も1位は獲れなかった。
それどころか、月日が経つにつれ、順位が滑り落ちていく。
両親は激昂した。
理由は明白だ。
両親からのプレッシャーである。
もともと、中学受験ので第1志望、第2志望ともに落ち、そこそこの偏差値の第3志望、つまりここにしか合格しなかった時点で両親は私に激怒した。
何故だ、高田家たるもの、そんなことは許されん、情けない。
だから、絶対に落としてはいけなかった。
必ず、首席に位置しなければならなかった。
その重みが、緊張を誘い思考を吹き飛ばす。
それは回数を重ねるごとに悪化し、テスト期間中は数時間に一度、嘔吐するようになった。
テスト当日なんて、もっと酷い。
睡眠不足による視界の霞、歪み、頭痛と吐き気。
緊張による震えとふらつき。