麗しの彼は、妻に恋をする
その時、夏目は銀座の本店にいた。社員からの電話で若い女流陶芸家が店の前で倒れたという話を聞き、そのあと和葵からも簡単な状況の報告を受けている。

救急車は呼ばずに和葵の部屋で休ませ、医者を呼んで診てもらった結果、女性が倒れた理由は過労と空腹による貧血だったという。

それを聞いても夏目は、特に驚いたりはしなかった。

陶芸に限らず、売れない芸術家が飲まず食わずにいることが原因で倒れるという話は、間々ある。別段珍しいことではない。

「その子の陶歴書」

和葵はテーブルの上にあった小さな紙をすっと差し出した。
それは名刺を二枚並べた大きさの、陶歴書といって陶芸家の経歴を簡単に書いたものだ。

陶歴書に書かれた名前は、桜井柚希。

「このカップがその子の作品ね」

夏目は記憶の片隅にもない陶芸家の名前だと思いながら、カップを手にとった。

柚肌の白い釉薬を使ったマグカップ。
赤みがかった土の上で釉がかすれ、繊細で優しく、女性らしいぬくもりを感じるいい器だと思う。

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