北向き納戸 間借り猫の亡霊 Ⅱ 『溺愛プロポーズ』
「今日はイメージだけつかめれば」
 いい、と言いかけた凛乃は、マネキンの陰に隠れるように踵を引いた。
 通路を、半袖ワイシャツにノーネクタイの男が通り過ぎていった。駅ビルの社員なのか手ぶらで、販売員でも客でもない中途半端さをものともしてない。
 仕事中のサラリーマン。その類型だっただけ。
「なんだ、よかった……」
 思わずつぶやいた声が聞こえてしまったらしい。累と目が合った。
 気まずさに目を伏せて、凛乃は服の森をかきわけた。
「だいたいわかったんで、帰りましょう」
 累の手を引く。でも累はイラっとするほど歩むのが遅い。
「今日は買いませんよ?」
「もしまた会ったとしても、堂々としてればいい」
「!」
 羞恥が沸き上がって離そうとした手が、がっちりと握りこまれる。レストランを出たときの手のぬくもりとは、まるでちがっていた。
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