呉服屋王子と練り切り姫

優しくないの? 優しいの?

「シカ、カワイカッタ!」
「ジンパチ、ナツカレテタ! カミサマ、ジンパチノコト、スキネ!」

 私は先ほどの事件を思い出してふふっと笑った。

 あの後甚八さんの手を舐めまわした鹿は、くんくんと甚八さんの小袖に鼻を突っ込んだ。さすがの甚八さんもおどろいたのか、一歩後ずさると今度は後ろからやってきた鹿が甚八さんの腰に鼻を摺り寄せたのだ。

「鹿せんべいの匂いがするんですね、きっと」

 私がそう言うと甚八さんは私の腰をさっと抱いて「先に出ています」と公園を後にしたのだ。

 高級ハイヤーに戻ってきたゲーン夫妻は笑いながらその話を始めた。

「アノアト、ワタシタチもシカセンベイをカラダニカクシテ、シカタチトアソンダノ!」
「ジンパチのユーモア、ステキネ!」

 どうやらゲーン夫妻は甚八さんが服に仕込んだ鹿せんべいで鹿たちと遊んでいたと思ったらしい。私は思わず声を上げて笑った。甚八さんは私の腰をぐっと強く抱くと、そのままその手で私の脇腹をつねった。高級な厚手の着物を着ているはずなのに、痛かった。どんだけ強い力でっ! 甚八さんを睨み返すと、彼は涼しい顔をしていた。

「デモ、シカバカリデ、モナカチャン、サビシイ」
「ソレワカッテ、ジンパチ、モナカチャント、サキニキエタ!」
「It's so wonderful!」

 ゲーンさんの奥さんは私の耳元で「ヨカッタワネ」と呟いた。
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