呉服屋王子と練り切り姫
 女将さんが去って行ったあと、すぐ玄関口に姿を現した甚八さんは、私の腰をぐいっと掴んで私を玄関から居間に上げた。もう、人をウサギか何かだと思ってるでしょ……。私は甚八さんをきっと睨んだ。しかし、彼の顔はいたって真面目な顔をしていて、意表を突かれた私は固まった。

「大丈夫か?」
「は、はい……」

 甚八さんは居間に入るなり近くの壁に私を追いやり、私の腰の帯に手をかけた。

「着くずれしてない。さすが、俺の店の精鋭たちに頼んだ甲斐があった」

 甚八さんは満足そうにそう言った。近い、近いし、後ろ壁なんだけど~~~!!! 思いもよらない接近に、私の心臓は怒りとドキドキで爆発しそうだ。私がふいっと顔をそむけると、甚八さんの触れていた帯の辺りから急に窮屈さがなくなっていく。緩んだ帯を手に、するするとそれを抜いていく。

「な、何を……っ!」
「胃、苦しいんだろ? 洋服に着替えたらどうだ? さっき、手配しておいたから」

 甚八さんはそう言うと帯だけを手にさっと背を向け、居間に私一人残して奥の部屋へと去っていった。長机の上には、どこで買ったのか女性もののセーターとスカート。
 私は自分の勘違いに赤面しつつ、着物を脱いでその洋服に袖を通した。先ほどまでの胃の苦しさからは解放されたはずなのに、私の胸はまだドキドキと高鳴ったままだった。
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