呉服屋王子と練り切り姫

三度目は甘くとろける明日の始まり

 まだある、と言われて着いた先はレストランの一つ下の階。

「本当にここに泊るんですか?」
「ああ」

 先に部屋の中に入った甚八さんは、入り口に立ち尽くした私を振り返り優しく微笑む。彼に伸ばされた手をそっととると、急速に甚八さんの腕の中に閉じ込められた。

「せっかく広い部屋だから、お前に堪能させてやろうと思ったんだが、どうやら俺にはそんな余裕はないらしい」

 温かい彼の腕の中で、甚八さんの着物の匂いを思いっきり嗅いだ。そっと頬を彼の胸に押し当てると、私と同じくらい早く波打つ心臓の音が聞こえた。

「ここでは、何をする予定だったんですか?」

 私はわざと意地悪く、甚八さんにそう言った。甚八さんは何やらごそごそと私の背中で袖を動かすと、私の背中から手を離した。彼の掌には、先ほどヘリコプターの中で見た小さな箱が乗っていた。

「手、出せ。つけてやる」

 私は自然に彼に左手を差し出した。彼の手が、私の指先を愛しそうに撫でる。その手から伝わる優しさに、目頭が熱くなった。
 やがて私の薬指におさまったダイヤの指輪が、キラキラと光を放つ。その輝きが私のうるんだ目元には、虹色のように映った。甚八さんの手は、そのまま私の左手を絡みとる。その様子から目が離せないでいると、彼の左手が不意に私の顎を掬った。近づいてくる彼の顔。やがて、私の目の前まで迫ったその口が、囁いた。

「残ってることは、あと一つ」

 そう言い終わるやいなや、彼の唇が私のそれを塞いだ。優しく触れる彼の唇がとても愛しくて、私はつないだままの左手にぎゅっと力を入れた。すると、それに呼応するかのように彼の口づけが深くなる。

「いいか?」

 甚八さんはそう言うと、いともたやすく私を持ち上げて、ベッドルームまで運んだ。
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