あやかしあやなし
 惟道が嵯峨野に入ったのは、日がそろそろ傾き始める頃だった。

「やはり馬があったほうがいいな」

 ぽつりとこぼし、湧き水で喉を潤す。言ってみたものの、元々馬など持っていない。狗神や化け猫といった物の怪に、ちょっと馬っぽく化けて貰うのが常である。それも昨今の都の様子では無理だろう。頻繁に都まで行くこともないから、通常であれば構わないのだが。

 ふぅ、と息をついて、惟道は頭上を振り仰いだ。背の高い竹の間を、風が吹き抜けていく。
 嵯峨野は、幽玄、という言葉が似合う土地だ。都とも化野とも違う、独特の空気が漂っている。異世界と繋がっているかのようだ。

 そんなことを考えていた惟道の足は、自然と竹に埋もれるように建っている一軒の庵を向かっていた。
 庵といっても寺ではなく、祠のように見える。周りに何もない竹林の中にいきなり現れたにしては小綺麗な、立派な祠だ。

 階の下でしばし佇んでいると、ぽ、と祠の内側が明るくなった。

「しばらくじゃなぁ」

 観音開きの戸が開き、中にいた女子が、言いながらにんまり笑う。真っ白な袿に、真っ白な髪。だが決して老いてはいない。妖しげな魅力を湛えた美女だ。

「何ぞ面白い話でも仕入れましたのんか」

「面白くはないのだが」

 促されるまま、惟道は階を上がり、祠の中に入った。

「そなたがここに来るのは、大抵何ぞあるときではありませぬか」

 祠の中は板張りだが、ぴかぴかに磨き上げられていて、貴族の屋敷のようだ。といっても惟道は、都のまともな家は安倍家しか知らないのだが。

「ふと、もしかするとこの辺りにおるやもしれぬと思ったのだ」

 いつの間にやら現れた円座に腰を下ろし、惟道はぽつぽつと烏兎と雛のことを話した。
 ちなみに女子は、この時代の女性には珍しく、惟道との間に几帳を立てるでもなく、扇で顔を隠すわけでもない。そのようなことをする身分ではないのかもしれないが、そうであればこの社の立派さには似つかわしくないのも事実である。
 もっともこの姿形から察するに、この女子も人ではないのであろうが。
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