魔女と王子は、二度目の人生で恋に落ちる。初恋の人を生き返らせて今度こそ幸せにします!
「えっと、ウィル様これは一体どういうことで……?」

 空には半月が浮かび、ゼーレアーム祭の目玉である流星群がときおり夜空に煌めく。
私たちはいつかのようにログハウスの屋根の上にいた。でも問題はそこではない。
 
「こうすれば一緒に手帳を見られるし、もし中を見てユズが倒れそうになっても支えてやれる」

私が座っているその後ろから、ウィル様が抱き締めるようにして座っているということだ。

 ウィル様、私にはこういう免疫がないんです。離れてください。心の中でそう何度も訴えかけるけれど、まったくもって言葉にならなかった。
肩にかかるショールを頭からかぶり、姿を隠してしまいたいくらい恥ずかしい。

「俺のことは単なる背もたれだと思ってくれればいい」

「そんな無茶な……!」

 私の動揺なんてお構いなしで、彼はからかうように笑って言った。

「心の準備はいい?ユズ」

 あぁ、ウィル様は平然と……惚れた方の負けなのか。そうなのね。
 諦めた私は、コクンと小さく頷いた。

 母は一体にこの手帳に何を書いたんだろう。天井裏に隠し、封印までかけるほどに。ウィル様が手帳をゆっくりと開くと、そこには整然と丁寧な文字が並んでいた。

 間違いなく、母の字だった。

『今日、森におかしな男が来た。ケガをしていたから手当てをしたら、妙に懐かれてしまった。アルスと名乗り、どうやら隣国から流れてきた傭兵くずれらしい』

 最初は、父がこの森に来たときのことから書かれていた。
 父のことはあまり話に聞いたことがなかったから、私はちょっとびっくりしてしまった。あの母がケガの手当てをしたなんて。

『新薬の実験体に使っていいから置いてくれ、そう言われてちょっと心が揺らいだ』

 うん、母はやっぱり母だった。
 こうして父はまんまとこの森にいつき、私という娘を成す関係になったのだと書かれていた。

『こんなに出産が苦しいとは思わなかった。わりに合わない。痛い、痛すぎる。子供なんて産む意味あるのかしら』

 この一文を見て、ウィル様が私の顔色をうかがう。

「……続きを読むか?」

「あ、はい。ここまでは想定内です」

 母の性格からすると、これくらいは予想の範疇だ。単純に出産が痛かったんだろう。痛いとか汚いとか嫌がりそうだもん。

 先を読んでいくと、父は私が生まれてすぐに故郷に帰っていった。自国で戦が起こり、帰ってきてくれと家族や友人に乞われたことが理由だった。

『アルスが私たちを置いて帰ると。何年かかっても、必ず戦を収めて帰ってくるからと言って手を振った。別にいいのに。だって転移魔法陣があるからいつでも行き来できるから』

 父と別れるときも、母はドライな感じだった。実に母らしい。

 でもここからどんどん母の気持ちに変化が訪れる。

『ユズリハが、特別にかわいく見える』

 手帳の中盤。そんな文字が突然目に飛び込んできた。

「お母さん……?」

 ページをめくる手が思わず止まる。
 母は私の気づかぬところで葛藤していた。

『あぁ、この子は銀杖(ぎんじょう)の魔女を継ぐ者として、きびしくしつけなくてはいけない。無理だ。こんなにかわいいのに。今日だってインク壺を倒してそれを手にべったりとつけ、床にヒトデのような形をたくさんつけた。もうこれが魔法陣でいいのでは』

 いやいやいや、お母さん。それは一体どういう心境!?
 私は自分の目を疑うけれど、母の異変はずっと続いていた。

『ユズリハは、私とアルスのいいところだけを受け継いで生まれたに違いない。天才だ。それにかわいい。きっと将来は美人になって、たくさんの男から求婚されると思う』

 母は私を愛していない、なんてことはなかった。銀杖(ぎんじょう)の魔女として、娘をきびしく育てようとする葛藤が手帳にはたくさん記されていた。

「随分と演技派だったんだな、ユズの母親は」

「そうみたいですね」

 いつも無表情で無口で、無関心のように装っていた母。私が見ていたものは一体何だったんだろう。
 手帳は五歳頃には終わっていた。また他の手帳に続きがあるのかもしれない。

 読み終えると、ため息が出た。
 これまで私が悩んでいたことは、完全にムダな悩みだった。

「ふふっ……」

 ばかばかしくなってきて、つい笑いが漏れる。

「おばあちゃんが昔言っていたんです」

「何を?」

 低い声が、耳元で聞こえる。

「『事実は予想をはるかに超えることがある』って。本当に……その通りでした」

 ウィル様が天井を破壊しなければ、きっと一生知らずにいただろう。母の隠された本音を。

「私、がんばります。母に認めてもらえる魔女になります。完璧な銀杖(ぎんじょう)の魔女に」

 そう言うと、ウィル様は不思議そうに尋ねた。

「それはいつまでに?」

「え?」

 いつまで、とは?私は目を瞬かせる。

「大丈夫だよ、ユズリハ。完璧になんてならなくていい」

「でも……」

 これまできびしい修業に耐えてきたんだ。完璧を目指して。
 ウィル様は優しい声で続けた。

「できないことがあるなら、俺がなんとかする」

「ええっ」

「迷宮に行くときは一緒にがんばればいいし、蜘蛛が嫌なら俺の後ろに隠れればいい」

 リクアに蜘蛛を投げられたことを引き合いに出すウィル様に、私はくすりと笑ってしまった。

「あぁ、そうだ。嫌いなものが出たときは、ハクに隠れてこっそり俺が食べてやるから心配ない」

「そんなこと?」

「あぁ、そんなことも。ユズはもっと頼っていいんだ、俺やハクのことを」

 私はふと手帳に視線を落とす。母はいつも完璧をめざせと言っていた。
 だから、ずっとがんばってきた。自分は強いって、しっかりしているんだって思わなきゃ生きてこられなかった。

「俺は一度死んだとき、何もかも認められなかった。自分の力でなんとかしてやると、傲慢なことにそう思ったんだ。それができると、信じて疑わなかった。でもそれが叶わないと知ったとき、絶望した。ユズと出会ったとき、すでに俺は壊れかけていたんだ」

 抱き締める腕の強さが増した。私はその腕にそっと手を添えて、黙って話を聞いていた。

「ユズは俺に手を差し伸べてくれた。だから、これからはユズがつらいときは俺の手を取ってほしい」

 いいのだろうか。
 ウィル様に頼っても。
 振り返り、じっと菫色の瞳を見つめると不思議とホッとした。

「ダメか?」

 ちょっと窺うように笑うウィル様。
 あぁ、やっぱり私はこの人が好きなんだなぁと思う。

「ウィル様……」

「ん?」

「それは恩返しの一環ですか?」

 クスリと笑ってそう問えば、ウィル様もふっと笑った。

「いや、そうじゃない」

 大きな手が私の髪を撫でる。

「ユズが好きだから。これからもそばにいたいと思っている」

「っ!」

 言葉にできない感情がこみ上げて、胸がグッと詰まった。

「それは……どの好きですか」

 博愛主義の延長だろうか。うれしいのに、素直に受け取ることができない。
 だって、ウィル様ですからね!?

 でも彼は「信用ないな」と笑って、困った顔をした。

「ユズと同じ気持ちだと思ってる。ユズだけが好きだ、といえばわかってもらえるか?」

「うっ……!!」

 涙腺が壊れてボロボロと涙が零れ落ちる。
 ウィル様の荒れた指が私の目元を拭い、滲んだ視界に菫色の瞳が入った。

 穏やかな笑みがきれいすぎて、また涙が伝う。

「ユズリハ」

 そっと唇が重なり、私は驚いて肩を揺らした。
 初めてのキスはとても優しくて、一瞬で終わってしまった。
 手帳を抱いたまま、私はウィル様の腕に閉じ込められる。

 それはとても静かな夜で、幸せな時間だった。

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