きみが空を泳ぐいつかのその日まで
「近くにいたみたいですぐ来るって。よかったなぁ、歓迎してあげなきゃ、おまえのカノジョ」

いびつに笑ったトキタの台詞で頭のなかが真っ白になった。

あぁ、連絡先なんか交換しなきゃよかった。仲良くなんて、しなきゃよかった。
出会わなきゃよかったんだ、彼女と。
ていうか、生まれなくても別によかった。
俺なんか。

ボコられてよろけた弾みで、雑多に積み上げられたカゴや段ボールの山にぶちこまれた挙げ句、硬いコンクリートのうえにゴミ同然に転がる。

気持ち悪く分裂した害虫のうじゃうじゃな触手に捕らえられて、無慈悲に補食されてく気分だった。

「起きろコラ、つまんねーなぁ!」
「それかもう死ねよ」

悪意に満ちた声の向こうに、親父の台詞がまた聞こえた。
他人の言葉になんか耳を貸す義理はない。でも無視できないのはなんでだ。

ユキが呼んでる?
いや、神崎さんが泣いている気がするんだ。

泣かせちゃだめだ。
大事なら、この手で守らないと。
彼女には笑っていて欲しいし、できるなら俺が笑わせてやりたい。
そう思ったら苛立ちが、痛みと迷いを越えた。

次の瞬間、マウントになって俺を殴り続けてた奴の顔面に容赦なく頭突きを見舞った。

相手は雨が打つ地面に転がって悶えたけど、それだけでは収まりがつかなくて、順に殴りつけた。

何か言いたげで。
でも話すの下手くそで。
いつも静かに本を読んでいる彼女の横顔を思い出していた。

ついさっき3人が出くわしたときの悲痛な顔。エリの涙。今いちばん痛いのは誰なんだよ?

大人たちは結論しか言わない。
だけど俺たちは……少なくとも俺は納得したいんだ。その過程を勝手に飛び越えて正論ばっか吐いてんじゃねぇ。

息が上がって、肋骨のあたりが軋んだ。
雨が傷口にしみる。

「あいつらにもらったぶん、倍にしてテメェにくれてやる」
「強がってんなよ理人ちゃん」
「どっちがだよ?」

俺のスマホを足で砕きながらトキタが不気味に笑った。

もう体がふらつくのを誤魔化せない。
そうだよ全部強がりのハッタリだよ。
でもそれがなんだ。

家族が全員他人だったのが、それを知らなかったのがなんだ?
自分がダセーのが、あの二人が姉妹だったのがなんだ?

彼女のせいで母ちゃんが死んだのが、それがいったいなんだっていうんだよ?

「てめぇらがじゃれついてくっから前髪乱れたじゃねーかよ」

濡れて顔にまとわりつく髪をオールバックにして口のなかに溢れてくる血を吐き捨てると、トキタは痩けた頬に軽薄な笑みを浮かべた。

「じゃ、仕切り直しってことでもっと楽しくやり合おーぜ」
「……安心しろ、更に笑える顔にしてやるから」

路地裏に同化した黒いシミみたいな俺たちを、強い雨が叩く。

何があっても神崎さんを巻き込むわけにはいかない。そのために俺は全力でこいつを殴る。
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