没落人生から脱出します!
 * * *

  七歳で記憶を無くした後、エリシュカはしばらく、母親の言うとおりに過ごしていた。
 朝食を終えたら、家庭教師について勉強し、午後は弟たちと散歩をする。
 それは平和な時間だったが、どこか物足りなさもあった。
 そんなある日、エリシュカは不思議な夢を見た。
 信号機や車、この世界にはない不思議なものがたくさんあるニホンという国で、自分は黒髪の女の子なのだ。

「今の夢……なに?」

 妙に懐かしく、ワクワクした気持ちになったエリシュカは、それを母親に話した。
 すると、母親は顔をこわばらせ、楽し気に話すエリシュカの手を鋭く弾いた。

「記憶を無くしても、空想家なところは変わらないのね」

 軽蔑したような口調で、見るからに落胆する母親に、エリシュカはそれ以上何も言えなかった。
 この出来事から、エリシュカはニホンのことを口に出すのは止めた。夢はその後も何度も見たが、エリシュカは自分だけの中にしまい込むことにしたのだ。
 それ以降、母親はわかりやすくエリシュカを避けるようになってしまった。

(どうして、夢で見た話をしただけなのに、こんなに怒られるんだろう)

 屋敷の中で、息を殺すように黙りこくる日々。やがてエリシュカは、疑問を抱くようになっていった。

(私の家でもあるのに、我慢ばかりしなきゃいけないのはおかしいわ)

 エリシュカは自分の好きなことを探すために、屋敷中を動き回った。心が動くもの、ときめくもの、安堵を感じるものが欲しかった。そして落ち着いたところが庭だ。
 元々お転婆な気質だったのか、庭の木に登ったり、木の実をとったりすることが楽しい。
 記憶喪失の原因となった池を見るのも、不思議と嫌ではなかった。

「木に登るのはおやめください!」

 するすると木に登るエリシュカに、サビナは目くじらを立てたが、エリシュカは無視して枝の上から庭を眺めた。

(どうせ笑ってくれないのだから、これ以上嫌われたって変わらない)

 人は折り合いをつけるものだ。
 エリシュカはやがて、愛されるようにふるまうのを諦め、自分の生きやすさを重視するようになった。
 自分の守り方を、エリシュカは本能的に知っていたのだ。

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