Sister Cherry! ~事故った妹は今日も事故る~ 【シーズン2】
43.心と体とお風呂とぱんつ
【いつかの小さな大事件(2/3)】
********************
桜子は、心の中でもう一人の桜子と向かい合う。たぶん現実では一瞬の、心象風景の中の時間……
旧桜子は、桜子を柔らかに抱きながら、すっと体に指を這わせてきた。
「ひゃあっ?! お、お前、何するんだよっ!」
「恥ずかしい? 自分に触られるとか、お兄ちゃんに見られるとか」
「恥ずいに決まってんだろ! ヤメてよお、ヤダあ……」
桜子が泣きそうになると、旧桜子の抱き締め方がふっと優しくなった。
「どうして?」
「だってぇ……ヤダし……あたし、もう子どもじゃないし。そんなの、触られたり見られたりするの、恥ずかしいに決まってるじゃないかあっ!」
桜子が思い余って涙を零すと、旧桜子がそっと髪を撫でてくる。
「そうだよね……自分の体が変わっていくのって、恥ずかしいし怖いよね。そういう時にお兄ちゃんに裸を見られたの、すごく悲しいことだったよね」
その髪の撫で方、語り掛ける声色。桜子は知っている、ああ、おかーさんだ。あたしの中にある、おかーさんの記憶があたしを抱いてくれている。
そうか、そうなんだ。そうだったんだ。
考えてみれば、小学生の中学年の頃までは、お兄ちゃんと一緒にお風呂に入っていたし、頭も洗ってもらっていた。裸も見られたことも、触られた……という表現だと誤解を招くが、洗いっこしたりとか当たり前にあるんだ。
あたしが許せなかったのは、自分自身でも直視したくない変わっていく自分を、大好きなお兄ちゃんに見られてしまったこと。いつまでも変わらずに、お兄ちゃんといたかったのに、変わってしまう自分をお兄ちゃんに知られてしまったこと。
(オトナにならなければ、ずっとお兄ちゃんとお風呂に入れるのに。ずっとお兄ちゃんと一緒の布団で寝ていいのに。お兄ちゃんと一緒にいられるのに。オトナになったことを知られてしまったら、お兄ちゃんと一緒にいられない……!)
だから、あんなに悲しかったんだ。変わってしまう自分がお兄ちゃんに嫌われるのが怖くて、お兄ちゃんを避けるようになったんだ。
それがいつの間にか、自分がお兄ちゃんがキライだから、避けているのだと思い込むようになって、理由と行動がひっくり返って、あたしは――……
旧桜子が、ぎゅっと桜子を抱き締めてくれた。
「そうだね……お兄ちゃんは悪くないね。桜子も悪くないね」
「うんっ……うんっ……」
「ただ、ちょっとタイミングが悪かっただけだね。ドアを開くタイミング、だけじゃなくて、桜子の変わっていくタイミング……そうして変わっていくことも当然のことなんだけど、けど、大好きな人から逃げなくちゃならなくなったよね」
「桜子はいつだって、少しタイミングが悪いんだよね……」
泣いている桜子を抱いて、旧桜子もまた体が震えているけれど、桜子は自分も強く抱き返すことで、思いが伝わればいいなと願った。
(だって、記憶を失くしていなければ、あたしはずっと、理由もわからずにお兄ちゃんを避けたままで、キライなんだと思い込んだままで……)
「いや、あのね? あたし達って同じ桜子じゃん。心の中で会ってんじゃん。悪いんだけど、()で考えてること、全部丸聞こえだからね?」
「うえええっ?」
(旧桜子と現桜子は、一心同体なのよ……!)
「こ、こいつ……脳内に直接……!」
旧桜子が、にっこりと桜子に笑い掛けた。
「桜子、お兄ちゃんに見られたこと、もう許せるよね?」
「……うん。あんたのおかげで、自分の気持ちの本当がわかったから」
「じゃあ、これからも見せられるよね?」
「うん、大丈夫だよ……って、それはアカンわあ! アホかあっ!」
旧桜子は桜子をそっと腕の中から解放すると、右手の親指と人差し指で円を作り、左手で受けるようにして、新たな“桜子ポーズ”をしながらすーっと天に向かって浮かび上がった。
(愛があれば、Love is OK……)
(あたしがいなくなっても、お兄ちゃんと、仲良くね――……)
「脳内に語り掛けつつ、この精神状態のあたしを残していくなあ――……
**********
ハッと我に返った桜子は、何かワケワカラン夢を見ていたような気がした。遼太郎はトランクス姿で困り顔をしている。
「あの時のこと、やっぱまだ怒ってるのか。確かにあれは俺が悪かったよ。改めてだけど、ゴメンな、さく……」
「りょーにぃ……」
遼太郎が謝るのを「らこ」まで言わせず桜子は、心の内側ではもう、あの出来事にひとつの区切りがついていて、だから……
「怒ってるよっ、バカあっ!」
(えええええええええええええええっ?!)
頭の中で誰かが驚愕の声を上げたような気がしたが、桜子はかまわず、遼太郎に向かって怒りをぶつけた。
「お兄ちゃんのスケベっ! ヘンタイっ!」
(桜子? ねえ、桜子?!)
誰かが何か呼んでるけど、桜子は止まらない。あのことはもう怒ってないけど、りょーにぃにそう言えるほど、“今”のあたしは素直じゃないんだ!
「もう、りょーにぃのことなんて大キライ!」
「うん……桜子、ゴメン……」
「あ、ウソ! 大キライじゃあない! ちょっとだけキライ!」
「ああ、うん?」
「ホントは、好き……」
「え?」
「もおおっ、出てってよお!」
言ってる内にワケがわからなくなってきて、デレの部分が漏れ出てていることには気づかず、桜子は真っ赤になって遼太郎に叫んだ。
「いや、せめて下だけでもはかせて欲しいと言うか、今回に関しては桜子が出てった方が早そうと言うか……」
「じゃあ、そうする!」
遼太郎がタジタジで言うと、桜子は素直に頷いて、音高くドアを閉めた。遼太郎が首をすくめると、外から……
「冷凍庫に、りょーにぃの分のアイス買ってあるから!」
「あ、頂きまーす……」
そう言い残して、踏み鳴らすような足音が遠ざかり、階段を上って行った。
(アイスはくれるんだ……)
あれだけ怒っていて、そういうとこ律義と言うか、チグハグと言うか……ひとまず嵐が過ぎ去り、遼太郎はふうとひと息、やっとズボンに片足を入れられた。
**********
晩ごはんの時も桜子は遼太郎と目を合わせず、食べ終わるといつもはリビングでテレビなど見るところを、さっさと部屋に戻って行った。
「遼君、桜子とケンカでもした?」
「んー、ちょっとね」
母さんに訊かれたが、内容がアレだけに、親にはちょっと話しづらい。
桜子はというと、ぶっちゃけ怒っているのはフリだから、振り上げてもいない拳の下ろしどころに困っていた。
(うーん、引っ込みつかない)
それならそもそも、謝った遼太郎に怒らなきゃ良かったのだが、そうやって自分の心が思い通りになるなら苦労はないんだ。
そこで桜子は考えた末、隣の部屋のドアが開く音が聞こえた時、少し時間を置いてからそっと後に続いた。
いつもだいたい、遼太郎はこの時間にお風呂に入るのだ。
洗面所のドアに耳を近づけると、中から水音が聞こえる。息をひそめること数分、やがて風呂場が静かになって、ざばあっとお湯の溢れる音がした。遼太郎が湯船に浸かったようだ。桜子はそっとノブを回し、洗面所に体を滑り込ませた。
人が入浴中の洗面所は、仄かに湯気っぽく温かかった。桜子は脱衣カゴの遼太郎のトランクスに目を落とし、ブンブンと頭を振る。今日ははそれが目的じゃない。
桜子はふうと息を整えると、意を決して、
「りょーにぃ?」
風呂場の遼太郎に呼び掛けた。
ぱしゃ、とお湯の音がひとつして、
「……桜子? どうした?」
中から遼太郎が少し焦ったように返事した。桜子は風呂の扉に向かって、
「あのね、りょーにぃ。あたし、ホントは、もうそんなに怒ってないんだ。今日は、あたしだって同じことしたワケだし……」
風呂場はしばらく湯のはねる音もしなかったが、
「そうか。あの時はホント悪かったな」
遼太郎のホッとしたような声が返ってきた。
(良かった、ちゃんと言えた……)
ホッとしたのは桜子の方もだった。これでやっと、あの“小さな大事件”は終わりを迎えて、二人は仲直りだ。それは今日だけのことじゃなくて、桜子と遼太郎に間にできてしまっていた溝をきちんと埋めて、本当に仲直りができたのだ。
桜子は嬉しくなって、風呂場の遼太郎に向かって言った。
「だから、久しぶりに一緒にお風呂入ろーよ。そしたら、ホントに許してあげる」
風呂の中から、ブッと吹き出す音が聞こえた。さすがの遼太郎も反応に困ったようで、返事がない。桜子はほくそ笑みながら、
(ふっふっふ、困れ困れ~。たまにはあたしとりょーにぃ、どっちの立場が上か思い知らせてやる~)
でも、もしお兄ちゃんが「いいよ」って言ったら、その時は……
「わかった、入って来いよ」
「ひゃあいっ?!」
まさかの返事が返ってきた。桜子は真っ赤になり、空手のポーズで身構える。
(えっ、ウソっ、ウソっ?! 今、入れって言った? えっ、いいの? あたし達、兄妹だよっ?!)
お兄ちゃんと、お風呂……?
桜子は入浴前から既に茹でダコ状態。頭はパニック、目玉はグルグル。まさか、ついにこの日がやって来たの……?!
一方遼太郎は、桜子の軽口へのお返しに一発カマしてやったわけだが、脱衣所の静けさに不安になってきた。
(いや、まさかとは思うが、あいつ……)
湯船から立ち上がり、
「おい、桜子?」
扉を少し開けて顔を覗かせるのと……
桜子がズボンを下ろしたのは、ちょうど同じタイミングだった。
「うわっ?!」
「きゃ。お兄ちゃんのエッチ」
遼太郎は慌てて顔を背けたが、すっかりそのつもりだった桜子は、別にぱんつくらいもう平気だ。
「な、何やってんだ、お前?!」
「え、一緒にお風呂入るんでしょ?」
狼狽する遼太郎に対し、桜子はズボン半脱ぎできょとんとする。
「冗談に決まってるだろ! 入れるか、高校生と中学生で!」
良太郎に言われ、ようやく桜子も恥ずかしくなってくる。
「あ、あたしだって冗談だよ!」
「冗談でお兄ちゃんにぱんつ見せるな!」
顔を横に向けて手で目を覆う遼太郎に、桜子は今更ながら赤くなる。
「だって、お兄ちゃんが入れって言うから……」
「鵜呑みにするなよ。てか、さっさとズボンを上げろ」
チラリと桜子の状態を確かめ、改善されていないことにギクッとする。
「ったく、何考えてんだ……母さんもいる時に……」
そう呟いて、「あ……」と思った特は既に手遅れ。桜子が目を丸くしている。
「おかーさんがいない時だったら、いいの……?」
「そ、そういう意味じゃない……! いいから尻をしまえ!」
とうとう、遼太郎に怒声が混じった。
「とっとと尻を運べ,Sakurako!」
「Yes,sir!」
ようやくズボンを上げて、桜子が洗面所から飛び出して行った。開いたままのドアにため息をつき、遼太郎は浴室に戻って、湯船に身を沈めた。
(まったく……あのアホは……)
ばしゃっと顔を洗い、目に焼き付いたあらぬ光景を拭い落とす。
(ふう……)
まさかマジで本気でもないだろうけど……いや、あいつは本当に入って来かねない。この歳で兄妹一緒に風呂とか……
(まあ、たまになら……)
(……いや、ダメだわ)
遼太郎はまた、湯で顔を撫でた。その日はいつもより、倍はノボせたようだった。
**********
部屋に逃げ帰った桜子は、ぼふっとベッドに身を投げ出した。ひんやりした枕カバーが、火照った顔に気持ちいい。
(やった……やったよ……)
桜子は何だか達成感に包まれていた。
とにもかくにも、兄妹の間にずっとあったわだかまりは解けた。このことが何より嬉しくて、自分の中の“桜子達”に誇りたい気持ちだった。
一緒のお風呂は断られたけど、ぱんつは見られても平気だったし、りょーにぃの前で裸になることだて、きっと、たぶん、いつか――……
(ねえ、旧桜子。あたし、きっといつか、りょーにぃと一緒にお風呂に入ってみせるよ……!)
(それはさすがに旧桜子もドン引きだわー……)
「うええっ?!」
胸の奥から、誰かの声が聞こえた。あたし……旧桜子にドン引かれるのかよ。桜子は今日のことは頭の中でリセットして、今再び独り静かに自分自身を見つめ直すことにした。