離婚するはずだったのに、ホテル王は剥き出しの愛妻欲で攻めたてる
 父のおかげで私は、それほど長い時間は一緒に過ごせなかった母がどんな人だったのかをよく知っていた。

 父自身、母が大好きだったのだと思う。母の仏壇の前に座る父は、いつも穏やかながら時に侘しげな表情を浮かべていた。

 それでも私の前で一度も弱音を吐いたり、涙を流しているところなど見た覚えがない。父は強く、優しい人だった。

「今頃、私を見て怒ってるかな」

 弱々しく漏らした私は、そっと墓石に触れる。冷たいそれは、温かかった父を感じさせてはくれない。

 父はいないととっくにわかっているつもりでも、触れるたびに涙が出そうなくらい悲しくなった。

「幸せになったよって報告できなくてごめんね。でも、お父さんにだけは見届けてほしい」

 そう言った私は、傍らに置いていた手桶を取ろうと上半身をひねった。

 すると、硬い靴音がこちらに近づいてくるのが聞こえてきて顔を上げる。視線の先にいた黒い人影を認めた私は、驚愕して大きく目を見開いた。
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