離婚するはずだったのに、ホテル王は剥き出しの愛妻欲で攻めたてる
 私の家は、八年前まで『あいの豆腐店(とうふてん)』というお店をやっていた。

 私の父、藍野(あいの)正太郎(しょうたろう)が毎日ひとりで豆腐を作っている、ほかに従業員もいない小さな店だった。

 母は私が三歳の頃に交通事故に遭い亡くなっていて、父は男手ひとつで私を育ててくれた。

 豆腐店の朝は早い。

 豆腐は気温の変化により味が変わるため温度調節がかなり重要で、気温が安定しやすい朝に作るのが一般的だった。

 さらに一度作り始めると作業を中断できないことから、訪問者や手の止める用事がない早朝に作り始めるのが適していた。

 気温によって仕込む時間も変わるけれど、父も毎朝だいたい三時には起きて作業を始めていた。

 私もよく手伝っていたが、豆腐作りは水仕事なので、冬は手足の指がかじかみ、しもやけになる。逆に夏は大豆を煮ている間、作業場は四十度にもなった。その上大豆製品は傷みやすい。
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