頑固な私が退職する理由

 ぐ、と私は歯を噛み締めた。
 彼女は私と彼の微妙な関係に気づいている。気づいているだけで、私がそのことを認めたりはしていない。それはおそらく、青木さんも。
 彼女のことだから、私たちがお互いへの気持ちを認めればさっさとくっつくよう取り計らうだろう。今だって本当は、そうしたくて仕方ないのだ。
 私は誰かのお膳立てで関係を作ることを望んでいない。それはおそらく、青木さんも。
 私の表情から進展がないことを察したのか、彼女は眉を片方上げて軽くため息をついた。
「私が応援してるってこと、忘れないでね」
 菊池さんは私の肩をポンと叩き、まりこに声をかけに行ってしまった。彼女の香水の爽やかな香りが鼻を掠める。
 私は誰にも聞こえない小さな声で答えた。
「……はい」
 応援してくれる人がいるのは嬉しい。
 彼女のことだから、青木さんにも同じように私との関係を進展させるよう突っついているはずだ。
 私が彼との両想いを確信しているのは、お節介な彼女がこんなふうに私たちを探り続けているから、というのもある。

 数メートル離れた青木さんの席を見る。
 誰かとまじめに電話をしながらパソコンを操作している。忙しそうだ。
 しばらくチラチラ眺めていると、何度目かでバチッと目が合った。
 電話の相手が面倒なのか、舌を出して変顔を見せてくる。
「ばーか」
 口の動きだけでそう告げると、彼はいたずらっぽく「イシシ」と歯を見せ笑う。それにつられて私も笑う。
 くだらないけれど幸せなやりとりだ。
 たったそれだけで仕事のやる気が倍増する。

 たった一回でもいい。
 一言でいい。
 ロマンチックなシチュエーションじゃなくていい。
 おまえが好きだと言ってくれさえすれば、私、何回でも好きだと言うのに。

「ばーか」
 私はもう一度口の動きだけでそう言って、自分の仕事に戻った。


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