きみは幽し【完】
幽し


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花ちゃんへ



お元気ですか。言葉がまとまらないまま、手紙を書くことをゆるしてください。そんなに思い詰めた気持ちで、今ペンを走らせているわけではないこともゆるしてください。花ちゃんに、謝らないといけないことがいっぱいあります。そのほとんどを花ちゃんは、もう知っていると思います。だけど、あえてふたつだけ(ここでひとつではないのが、瀬戸周らしいと思ってください)。


ひとつめは、大人になるとはどういうことかと花ちゃんに聞かれたとき、諦めることだと言いましたね。あれは、いざ自分が大人になってみたら、違うということに気づきました。大人になる、というのは、思春期を永遠の眠りに放つことだと思います。諦めとは、違いました。結果的に嘘をついたみたいになってしまい、反省しています。

招待状と共に同封する内容ではないのですが、完全に眠らせる前に、思い出について話をさせてください。花ちゃんは、本当は俺が言う前からずっと知っていましたよね。俺は、花ちゃんのことが出会ったときから好きでした。だから、花ちゃんが俺と同じ気持ちではなかったことも本当はずっと分かっていました。分かっていた上で、追い詰めてしまったこともあります。

思春期の中心に花ちゃんがいて、俺の青春のすべては、花ちゃんにとらわれていました。だから、逃げだそう、と少しずつ少しずつ花ちゃんから離れる心の準備をしていました。小中学生のガキだった俺は、花ちゃんもいつか俺の方に振り向いてくれるのではないかと期待していましたが、高校に入り、少し世界が広がってからは、このままじゃだめだと漠然と思う気持ちが常にありました。
離れたくない、と花ちゃんに言われたとき、俺は自分の弱さをすべてあなたには見透かされているのだと思いました。花ちゃんが自分のことを打ち明けてくれたとき、俺は、どうすればいいのか分からなかったのです。だから、抱きしめました。誤魔化したのかもしれません。瀬戸周という人間は、たぶん、花ちゃんが思っているよりも最低で情けないです。初恋を十年以上、こじらせてしまいました。どうしようもなく好きでほとんどが苦しかったです。
懐中時計は、本当のところ、区切りとして贈りました。青春というものに、終止符をうつためのものでした。だけど、花ちゃんが泣いて、俺はやっぱりあなたの心の中にずっといたくて、これを買っただけなのだと気づいてしまいました。


ずっとそばにいる、と言いましたね。花ちゃんに謝らないといけないことのふたつめはそれです。花ちゃん、ごめんなさい。だれかに関心をよせることが苦手な花ちゃんだから、あなたの一番大切な人は、今も、俺なのだろうなとうぬぼれています。電話で会いたいと言ったのは最後の駆け引きのつもりでした。離れたのは自分のくせに、俺はそういうことを平気でしてしまう人間です。そんなどうしようもない人間ですが、その上で言います。俺は花ちゃんへの恋心をようやく失うことができました。だから、花ちゃんも、もういいんです。俺から解放されてください。だけど、あの頃のことをできれば忘れないでいてほしいです。十代の瀬戸周が、本当に花ちゃんのことを好きでいたことも嘘だと思わないでください。
俺は花ちゃんと恋がしたかったのです。花ちゃんに、好きになってもらいたかったのです。花ちゃんを苦しめるだけのそのような不躾な願望を俺はようやく手放せて安心しています。今、こんな言い方をしていることが、俺の未練のすべてです。


愛する人ができました。花ちゃんが結婚式に来てくれることを願います。そして、恐らくこれが最初で最後の手紙なので、言いたいことを書いてしまいます。あの頃、花ちゃんは時々、同じ海猫を重複して数えていましたよ。だけど、俺はずっと気づかないふりをしていました。それと、花ちゃんの鼻歌は結構ひどかった。だけど、楽しそうにしているから、一度、嘘をついて上手だねと褒めました。

花ちゃん、どうか、幸せになってください。俺が言っても説得力はないけれど、恋など知らなくても花ちゃんは幸せになることができる人です。


どうか、一番大切な人を見つけてください。



瀬戸周より



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