ビニール傘を差し出したら、結婚を申し込まれました。
私が尋ねると、ハルさんはハッとしたような顔をして、弱々しく笑った。
「ごめんね、ちょっと驚いて……。そう、知ってる人だよ。とてもよく知っている人」
ハルさんはゆっくりと歩いて椅子に座り、お茶を少し飲んだ。一目見てその人のハンカチだとわかったぐらいだ。よっぽど親しい人だったのだろう。
「前にちらっと話したの覚えてるかな……。少し前まで僕には正式な婚約者がいたって」
「ああ、名家のお嬢様、でしたっけ。使用人と駆け落ちした」
私は、ハルさんから婚約者役になってほしいと言われたあの日の話を思い出してうなずいた。
「そう。そのお嬢様が澪なんだ」
「え……」
「木坂澪。戦前から続き、いくつもの有名企業を傘下に持つ木坂グループの総帥の次女」
言葉を失った。そのグループの名前自体はよく知らないものの、何やらすごい人なのだというのはわかる。
そしてその女性が、今日出会ったあの人で、しかもハルさんの元婚約者。
同時にあの儚げで美しい女性、澪さんがハルさんの隣に並んでいる様子を思い浮かべて妙に納得した。すごくお似合いだ。
「婚約を解消してから一度も会ってないからさ……。びっくりした。そう、近くにいたんだ」
「急いでいるみたいでしたし、どこかに用事があったのかもしれません」
「元気そうだった?」
私は澪さんの様子を思い出してうなずく。
「普段の様子を知りませんが、少なくとも元気がないようには見えませんでした」
「そっか……。ならよかった」
ハルさんは心底ほっとしたように微笑を浮かべた。そしてテーブルに並んだ料理を食べ始める。
彼は、まだ澪さんに未練があるのかもしれない。
そう思うと何故か、胸の辺りが少しモヤモヤとした。