ビニール傘を差し出したら、結婚を申し込まれました。
「あの、澪……様……?」
橋岡さんは震える声で澪さんの名前を呼び、彼女の前へ進み出た。
澪さんはにこりと微笑んでみせたかと思うと、パチンと大きな音を立てて橋岡さんの頬を叩いた。
「馬鹿!連れ出して欲しいって言ったのは、あなたのことが好きだったからに決まっているじゃない」
「……そんなはず」
「橋岡。あなたはそうやってすぐ私から距離を置こうとする。ずっとずっとそうだったわ。辛いときに誰よりも寄り添って、欲しい言葉をくれるのに、いざ私から近づこうとすれば線を引かれる。だから、あなたが私のことを『お嬢様』ではなく一人の女性として好きだと言ってくれたときは本当に嬉しかったのに!」
「……申し訳ございません」
「もう許さない。本当に……。あなたと一緒ならどんな場所でだって私は幸せなの!ばかっ、ばか……」
澪さんは怒っているが、その目からは次第に涙があふれだした。そんな澪さんのことを、橋岡さんは戸惑いながらもそっと抱きしめた。
どうやら誤解は解けたらしい。
ほっとして二人を見ていると、ハルさんがちょんちょんと私の肩を小突いて「夏怜ちゃん、僕らは退散しようか」とささやいた。私は小さくうなずき、こっそりと立ち上がる。
支払いを済ませたハルさんは、レストランを出ると「あー」と声を上げて伸びをした。
「何か疲れた」
「そうですね。まあ無事話が済んで良かったです。帰りもタクシーですか?」
時計を見ると、夜の八時を指していた。レストランがあるこのホテルはマンションから結構遠く、行きはタクシーで四十分ほどかかった。今からタクシーを呼んで帰れば九時すぎか。もっと遅くなるかと思ったが、意外に話は早く済んだらしい。